仕事を辞めたら、加計呂麻島の子どもに世界への夢を届ける。世界の著名人を呼んで私塾を設けて島の子に話を聞かせたい。講師には釣った魚をあげる(写真/山中蔵人)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2025年6月16日号では、前号に引き続きANAホールディングス・芝田浩二社長が登場し、「源流」である鹿児島県の加計呂麻島などを訪れた。

【写真】母校の鹿児島県立甲南高校にて

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 電車の運転士、看護師、プロ野球選手、バレリーナなど子どものときに「将来なりたい」と思った姿に、実際になった例は、知る限りでは少ない。とくに都会の「元・子ども」たちは、会社や店に勤めた例が圧倒的だ。刺激的な新しいことが次々に目や耳に入る都会で育てば、「これだ」と際立つ選択は起きにくい。

 地方で過ごせば、情報や事例は都会より少なくても「なりたい」と思う像が絞り込まれていく面もあるだろう。奄美群島の加計呂麻島で小学校4年生までを過ごした芝田浩二さんは、沖にみえる外国船に「海外へいきたい」との思いが生まれ、大学進学、就職と、その一路を進んだ。

 企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。

 4月上旬の週末、鹿児島県の加計呂麻島を、連載の企画で一緒に訪ねた。小さな集落で、何でも自分で工夫してやるという「自立心」を育んでくれもした島。ここでの日々が、芝田さんのビジネスパーソンとしての『源流』だ。

休校になった小学校すぐに口ずさんだ掲示板の校歌の歌詞

 奄美大島から「海上タクシー」と呼ぶ小型船で20分、加計呂麻島の北西部にある薩川湾へ入る。宿に荷物を置いて海沿いの道を歩くと、左に湾が広がり、右手に薩川小学校がみえた。児童の減少で昨春に休校となり、人影はない。

 校門を入ると、掲示板があり、児童が書いた校歌の歌詞が目に留まる。みて、すぐに口ずさむ。胸に刻まれているのが、3番にある「七つの海に船出せん」だ。以前は「海」でなく「洋」と書いていたが、どこかで「海」になり、そう書き残されている。

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