ヴァン・ヘイレン・ライジング:『ハウ・ア・サザン・カリフォルニア・バックヤード・パーティー・バンド・セイヴド・ヘヴィー・メタル』グレッグ・レノフ著
ヴァン・ヘイレン・ライジング:『ハウ・ア・サザン・カリフォルニア・バックヤード・パーティー・バンド・セイヴド・ヘヴィー・メタル』グレッグ・レノフ著

ヴァン・ヘイレン・ライジング:『ハウ・ア・サザン・カリフォルニア・バックヤード・パーティー・バンド・セイヴド・ヘヴィー・メタル』
グレッグ・レノフ著

●第9章 ノー・コマーシャル・ポテンシャルより

 ジーン・シモンズはスターウッドのVIP席から狭い楽屋へ向かい、ヴァン・ヘイレンの4人と初めて顔を合わせた。彼は音楽ビジネスについて少し語ると、彼らのマネージメントに携わり、レコーディング契約を結ばせたいと言った。バンドはすぐさま、彼の助力を得ることに同意した。

 エドワード・ヴァン・ヘイレンが振り返る。「スターウッドを発つ前に、ジーンから彼のホテルの電話番号を渡されて、その晩家に着いたらすぐに電話をくれと言われた。バンドがパサデナに戻った時には、朝の3、4時になっていた。で、その同じ朝の6時にはすでに、ジーンと一緒にヴィレッジに入っていたんだ。びっくりする展開だった」
 
 彼らは1976年11月3日に、サンタ・モニカのスタジオ、ヴィレッジ・レコーダーズに集合した。シモンズによれば、ヴァン・ヘイレンのオリジナルを評価することが最優先事項になったと言う。

「スタジオに入り、『さあ、レコーディングしよう』と言うわけにはいかなかった。彼らは俺に、カセットを手渡した。テープには間違いなく20曲以上入っていた。俺はその中からレコーディングする13曲を選んだ。《アイス・クリーム・マン》は気に入らなかった。最後の1曲が、『1984』に収められた《ハウス・オブ・ペイン》だった。当時はもっとタフなサウンドで、《ランニング・ウィズ・ザ・デヴィル(悪魔のハイウェイ)》に近い感じがした」

 シモンズは、1曲ごとにレコーディングをする間、バンドのギタリストに舌を巻いた。「一番驚いたのは、エディがダイレクトに独自のエフェクトをかけまくったことだった。通常はボードを通して音を加工するものだが。彼はエフェクトに関して知り尽くしていた。だから基本的に、マイクで拾えば、それでよかった。彼は何もかも、わかった上でやっていた」

 セッションが終わると、シモンズはすぐさまキッスのマネージャー、ビル・オーコインに電話をかけた。そして、彼がハリウッドで見出したホットなグループのレコーディングを行った経緯や、そのデモにオーヴァーダビングを加える必要があることを説明した。

 シモンズは、オーコインが彼と同じように彼らを気に入れば、彼らのマネージメントを引き受け、キッスが所属するカサブランカ・レーベルの契約を取り付けるかもしれないと思った。また、キッスがヴァン・ヘイレンをツアーに同行させ、前座で演奏させる可能性もあると期待した。

 シモンズは熱心に、ヴァン・ヘイレンを売り込んだ。オーコインは彼らの名を伝え聞いていた。電話越しの話し合いが、しばらく続き、オーコインはシモンズの熱意に折れるように、「わかった。彼らを飛行機でニューヨークに来させよう」と言った。キッスは、11月7日からニューヨークのSIRスタジオでツアー・リハーサルを開始することになっていた。オーコインはとにかく、シモンズをニューヨークに呼び戻す必要があった。

 シモンズはその後、ニューヨークでデモを完成させるため、エドワードにバンドのメンバーと荷造りをするよう電話で伝えた。エドワードによれば、「ジーンには構想があって、きちんとプロデュースするつもりだった。だが、キッスの他のメンバーは、ちょっと苛立っていた。彼らといるより俺たちといる時間のほうが長かったからだ」と言う。

 マイケル・アンソニーとアレックス・ヴァン・ヘイレンはそれぞれ、ベースとドラムスのトラックを完成させていた。したがって、バンドのリズム・セクションがニューヨークに行く必要はなかった。「それでもジーンは、メンバー全員で来てくれと言った。彼は俺たちをバンドとして求めていたんだ」と、アンソニーが語る。

 ヴァン・ヘイレンがニューヨークに到着すると、シモンズは彼らのために、街の中心部にある立派なゴッサム・ホテルに部屋を取った。「彼らが、『ああ、俺たちはニューヨークにいるんだ 』って初めて実感できるだろうと思ってね。確かにちょっとやりすぎたが。俺がキッスのツアー・リハーサルをする間、彼らは街をぶらついたり、レコード・ショップに行ったりしていた」

 彼はキッスのメンバーとして果たすべき責任があったものの、ヴァン・ヘイレンのデモを完成させる決意をし、バンドがよく使う伝説のスタジオ、エレクトリック・レディを予約した。

 デモ・テープのドラムス、ベース、バックグラウンド・ヴォーカルの大半は、すでに仕上がっていた。シモンズは、デイヴィッド・リー・ロスのリード・ヴォーカル・パートをさらに加え、エドワードのギターによるオーヴァーダビングに取り組みたいと考えていた。だがエドワードは、オーヴァーダビングの経験がまったくなく、戸惑いを感じた。

『Van Halen Rising : How A Southern California Backyard Party Band Saved Heavy Metal』
By Greg Renoff
訳:中山啓子 

[次回1/23(月)更新予定]