
日本にはそうした人々が昔からいて、いま吉沢さんが仰った「型」を作ってきた、という大きな流れのある物語をこの時代に撮ってもらっているのは凄いことだな、と。
吉沢:(「アデル、ブルーは熱い色」などで知られるソフィアン・エル・ファニによる)カメラワークも本当に面白かったですね。手持ちのカメラによる寄り映像も多く、喜久雄を演じていても、周りをぐるぐると移動しながら撮られていたことを覚えています。
吉田:「二人道成寺」を踊るシーンでは素早く着替えるなど準備をしている様子も見ることができて、歌舞伎ファンは震えがくるんじゃないかな。
積み重なった「奇跡」
吉沢:いいですよね、海外の方に撮ってもらう意味が詰まっていて。「歌舞伎」というものを定点から撮ることはせず、客席から観る舞台とは明らかに異なる視点で映し出していた。見事だなと思いましたし、「映画」として観た時にそこが面白いなと。
──吉沢さんにとって「国宝」はどんな存在となったのか。また吉田さんが感じた、映像化される喜びとは。
吉沢:確実に、今までの役者人生の集大成になった作品だと思います。「集大成」という気持ちは、撮影に入る前から持っていました。それくらいの覚悟でやらなければ李監督には太刀打ちできないと思いましたし、通用しないだろう、と。大変な、つらい現場ではありましたけれど「お芝居をする」という意味ではこれ以上にないくらい、贅沢で幸せな空間だったと思います。
吉田:いまお話を伺っていて、頭に思い浮かんだのが「奇跡」という言葉です。色々な方との出会いがあり、李監督がいて、吉沢さんがいて、そして吉沢さんがここまで思い入れをもって臨んでくださった。奇跡が積み重なり、自分が想像していた以上のものができたのだと思います。いまは「感謝」の気持ちが大きいです。
(構成/ライター・古谷ゆう子)
※AERA 2025年6月9日号より抜粋
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