
長嶋茂雄さんが6月3日に肺炎のため89歳で亡くなった。訃報を受け、長嶋さんと三遊間でコンビを組み、ともに巨人V9時代を支えた名遊撃手・黒江透修(86)さんは「ただただ残念です」と声を絞り出した。
【写真】監督として対決した“ON”コンビなど「ミスタープロ野球」の名シーン
「大スターでしたけど、偉ぶるようなことは一切なくてね、僕がいい守備をできたときは自分のことのように本当に一緒に喜んでくれて。こういった人はめったにいないというくらいに、みんなに好かれていました」
黒江さんは巨人に入団後、4年目の1967年に遊撃手のレギュラーを奪取。三塁を守る長嶋さんとコンビを組んだ。
「コンビを組むようになったときも特段指導はなくて、『お、クロちゃん、よろしく頼むよ』と言われたくらいでした。試合中は守備位置が隣だったということもあるでしょうが、僕が一番話してたんじゃないかな。僕のほうが3つ年下ですが、『ミスター! ナイスプレー!』なんて声をかけたりね。気兼ねなく話せる兄のように感じていましたし、本当に大好きな先輩でした」
すぐそばで見る長嶋さんの守備は「本当にかっこよかった」と話す。
「派手なプレーが注目されがちですけど、ものすごく堅実で、基礎技術が高かった。そのうえで見せ方がうまくてね。大スターというのはこういうことかと。感覚派なところもやっぱりあって、試合中に『僕が(守備位置を)こっちに寄るから、ミスターはベース寄りに守ってください』なんて、ベンチの指示を伝えるといったやりとりはしょっちゅうありましたね」
【写真】監督として対決した“ON”コンビなど「ミスタープロ野球」の名シーン
「クロちゃん」「ミスター」と呼び合い、気兼ねなく何でも言い合える関係はグラウンドの外でも同じだったという。
「ミスターは謙虚でおおらかでマイペース。試合後にインタビューを受けるときも、『ちょっと用事があるから、クロちゃん頼むよ』なんてことは結構ありました。取材陣にも『クロちゃんから聞いてくれ』ってよく言っていたのを覚えています」
現役引退後は巨人の守備・走塁コーチ補佐として、長嶋監督を支えた。指揮官としてもやはり感覚派で、細かい作戦を取るタイプではなかったと話すが、「誰と憎み合うこともなく、ざっくばらんにやれる人だった」という。