
落語家・春風亭一之輔さんが連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今回のお題は「銭湯」。
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私の田舎には銭湯がなかった。あったのかもしれないが、我が家の生活圏にはなかったと思う。どの家庭にも内湯(そんな言葉も使ったことがなかった)があったので、その地域の住人は必要としなかったのだろう。そもそも銭湯というものは都会の文化だと思う。
そんなことで上京して初めて銭湯を使うことになった。19歳で一人暮らしを始めたアパートにはキッチンにシャワーボックスが付いていて、家賃5万円。なかなか贅沢なスタートだ(ちなみに大学在学中に2度引っ越し、5万円→3万3千円→2万2千円とどんどん安価なアパートになっていった)。
銭湯は行かなきゃならないわけでもなかったが、家から歩いて1分のところにあったので引っ越しの汗を流しに行くか、となんとなく思いながら、夕方過ぎには引っ越し完了。「戸締まりしっかりするんだぞ」と言い残し両親が帰って行った。
家財道具は実家にあるものをそのまま持ってきたので代わり映えはしないが、ようやく手に入れた「城」でとりあえず寝転がり端から端へゴロゴロ転がってみる。6畳一間の新しい畳はいい香り。ウトウトしかけたときに、急にドアをノックする音が聞こえた。
「近所の者です」
「お引っ越し、おめでとうございます!」
日焼けした浅黒い、痩せ身の30代半ばの男が台所の窓の網戸越しにこちらを見ている。誰だ? なんだかAV男優(当時)の加藤鷹氏に似ている。でもなぜ加藤鷹(似)が私に祝いを?
私「どちら様ですか?」
鷹(似)「近所の者です。お引っ越しおめでとうございます!」
いま考えるとどう考えてもおかしな事態なのだが、19歳の世間知らずの私は「あー、東京では引っ越しすると見ず知らずの近所の人がわざわざお祝いに来てくれるのか! 都会の人情もまだまだ捨てたもんじゃないなぁ!」と感心してしまった。