『TIME OUT OF MIND』BOB DYLAN
『TIME OUT OF MIND』BOB DYLAN

 トラディショナルを中心にした2枚のアコースティック・ギター弾き語り作品、30周年記念コンサートを記録したライヴ作品、MTVの企画『アンプラグド』からのライヴ・アルバムなどがつづき、ボブ・ディランは、1990年秋発表の『アンダー・ザ・レッド・スカイ』以来、スタジオ録音によるオリジナル作品を世に出していなかった。書けなかったのか? 書く気になれなかったのか? そのあたりは詮索しても意味のないことだと思うが、突然なにかが閃いたのか、95年から96年にかけて、ネヴァー・エンディング・ツアーで各地を回りながら、彼は曲づくりをつづけていったようだ。

 89年の『オー・マーシー』を手がけたダニエル・ラノワの著書『ソウル・マイニング』によると、そのころ彼は、ひさびさにディランからの連絡を受け、まずその詩/歌詞を読んで聞かされたという。歌の原型ではなく、言葉だけを聞かされたということだ。

「これでアルバムができると思うか?」
「もちろん」

 その後彼らは、カリフォルニア州オクスナードにあったラノワの制作拠点テアトロ(古い映画館を、もともとの構造や雰囲気を生かしながら改装したもので、ニール・ヤングは2015年にそこで『ザ・モンサント・イヤーズ』を録音している)などで曲の仕上げやデモ音源の録音を行ない、最終的には、マイアミの名スタジオ、クライテリアで『タイム・アウト・オブ・マインド』と呼ばれることになるアルバムをレコーディングしている。発表は、1997年の秋(この年の2月にディランは、東京国際フォーラムのいわゆる、落とし公演を含む4度目の来日をはたしている)。

 ラノワ人脈のブライアン・ブレイド、ネヴァー・エンディング・ツアーのメンバー、ベテラン・ドラマーのジム・ケルトナーなど10人以上のミュージシャンを起用し、空気感を生かした音を目指したというレコーディングは大変な作業だったと思われる。ディランとラノワが衝突することもあったようだが、なんとか録音を終え、ふたたびテアトロに戻ったラノワが歌詞やコードの変更にも魔法的なタッチで対応し、完成させている。印象的なジャケット写真は、ラノワがニコンで撮ったフィルムのベタ焼きをそのまま印刷素材にしたものだという。

 《ラヴ・シック》、《ノット・ダーク・イェット》、後年アデルのカヴァーでヒットすることになる《メイク・ユー・フィール・マイ・ラヴ》、16分超の《ハイランズ》など耳にした瞬間に深く引き込まれてしまう曲をいくつも収めたこのアルバムによって、ディランへの注目度と評価をあらためて高まることとなった。同年度のグラミー賞(授賞式は98年2月)では、年間最優秀アルバム賞などを獲得している。

 このとき、ウォールフラワーズ率いる息子ジェイコブが《ワン・ヘッドライト》の作者としてロック部門最優秀楽曲賞を獲得していて、親子同時受賞などと報道されたりもしたのだが、グラミーで残したエピソードはそれだけではなかった。

 すでに世界各国に衛星生中継されるようになっていたグラミー授賞式にとって、候補者を中心にしたアーティストたちのライヴは欠かせないもの。ディランも「別ステージで」という条件で出演依頼を受け、ネヴァー・エンディング・ツアーのメンバーと《ラヴ・シック》を演奏しているのだが、その途中、後方に配されていた数十人のダンサーのうちの一人の男が、黒いTシャツを脱いで飛び出し、ディランの隣でくねくねと躍りはじめた。一瞬イヤそうな顔は見せたものの、彼はそのまま歌いつづける。ディランらしい対応だ。しばらくして男は警備員によって外に出され、無事、《ラヴ・シック》のライヴは終わった。ちなみに、件の男にお咎めはなかったそうだ。[次回12/21(水)更新予定]

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大友博

大友博

大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。dot.内の「Music Street」で現在「ディラン名盤20選」を連載中

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