札幌ラーメンは単なる食べ物でなく、食文化だ。なぜなら、麺だけでは成立せず、たれや盛り付けなどが引き立て合って初めて一杯が完成するからだ(撮影:狩野喜彦)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2025年5月26日号より。

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 1983年4月、ファミリーレストランチェーンのすかいらーくを退職した。81年春に中央大学商学部を卒業して2年間、二つの店で、大学で学んだマーケティングの「理論」とは別の「現場」を体験した。出した答えは「すべては客の満足」だった。

 1年目は、東京都府中市の東府中店で、厨房へ配属された。ハンバーグを焼き、サラダをつくり、食器類は手で洗う。はた目にはたいへんにみえただろうが、楽しかった。何よりも、客が自分のつくった料理を美味しそうに食べる光景をみるのが、好きだった。

 2年目に甲府市の住吉店へ異動し、今度は「ホール」と呼んだ客席の責任者だ。力を入れたのが、客との会話。何気ないやり取りから、客の要求や不満の「本音」を引き出す。それをもとに料理の改善やメニューの見直し、接客マニュアルを磨き上げていく。その連続が、繁盛を生んだ。

 実績が認められ、すかいらーくが始める新業態のプロジェクトメンバーに選ばれる。ただ、ここで考えた。札幌市の実家は、みそ味を核に成長した札幌ラーメン向けの製麺会社。5人兄弟の長男として「いつかは後を継ぐ」と思っていたが、大学卒業時は父に相談しないで「外食産業の現場を知りたい」と就職した。そのとき、5年たったら帰郷しよう、と決めていた。

魅力のプロジェクト中途で退職は迷惑と退職の道を選んだ

 新プロジェクトに声がかかったのは入社2年目が終わる前。魅力的だったが、5年がたつ3年後はプロジェクトが佳境を迎え、そこで辞めたら迷惑をかける。そう思い、残念だったが退職を選ぶ。

 甲府市を去る前に「本音」を交えて親しく接してくれた客へ、挨拶にいく。すると、相手は「そんなことをしたのは、きみだけだ」と笑った。もう会わないだろう人でも、礼は礼。そんな接客の在り方を教えてくれたのも、住吉店での日々だ。西山隆司さんのビジネスパーソンとしての『源流』が、流れ始めていた。

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