写真:本人提供

 いま西山製麺は札幌ラーメン店を営業する国内の約3千店、海外の350店へ、各店主が望む麺の色、幅や太さ、縮れ具合など、オーダーメードで供給している。その向こうに数多くの札幌ラーメンファンがいて、麺の種類は重複を省いて300種を超える。『源流』が生んだ「すべては客の満足」の実像だ。

 西山製麺は、父・孝之氏が1953年に札幌市中央区のすすきのの繁華街の西に設立した西山製麺所が前身で、自宅が並んでいた。父はその数年前に故郷の富山県からきて魚などの行商をしていたが、従兄の西山仙治氏が引いていた屋台のラーメン店が評判になると、戦後に中国から引き揚げてきた人たちが「自分もラーメン店を始めたい」と言ってきて、開業用に提供する麺づくりへ参加。やがて独立し、多加水熟成製法で、卵入りで縮れがある腰の強い麺を開発。大ヒットさせた。

 その父と母の間に1958年10月に生まれた。小学校4年生のときに父がカメラを買ってくれ、会社の宴会などで撮影を頼まれた。中学校で写真部へ入り、市立札幌旭丘高校でも続ける。山の風景や蒸気機関車を撮りにニセコを訪れ、弟と網走まで撮影にいったのを覚えている。このころ西山製麺は市の学校給食の指定工場に認定されていた。

 77年4月に中央大学商学部へ入学。父に「後を継げ」とは言われていなかったが「継ぐのは自分」との思いで経営学科を選び、マーケティングのゼミで価格や販売の戦略などの「理論」を学んでいく。卒論のテーマは「外食産業のマーケティング」だ。

 卒業後にすかいらーくへ入り、2年後に西山製麺へ転身すると、父が企画室という居場所を用意してくれていた。でも、麺をつくることも客も知らないから、仕事は自分でみつけないといけない。やったのが、通信販売だ。

 空港に置く土産セットを、得意先へカタログで売った。その際、郵便局へダイレクトメールを出しにいって「ふるさと小包」のパンフレットをみて、「この市場でラーメンを売れないか」と父に話すと「面白い、やってみたらどうだ」となる。

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