通信販売に挑戦し北海道の全郵便局で爆発的に売れた
だが、郵便局はまだ国営で「面白いけど、個人の会社のものを扱うのは難しい。組合か団体があるだろう」と言われ、札幌のラーメン店が集まった会の名前を借りる。道内に郵便局は約1800あり、最終的に全局に取り扱ってもらい、北海道郵政局に「西山さんの机も、ここに置いておくか」とまで言われた。歳暮期に「ラーメンがいまギフトの売れ筋」との記事が載り、爆発的に売れた。「すべては客の満足」という『源流』からの流れに、勢いがつく。
帰郷して1年半、父に胃がんがみつかった。手術を受けたが、3カ月後に亡くなる。ラーメンの通信販売が楽しかったときで、父の弟が「私が社長をやるから、通信販売を満足のいくところまでやったらどうだ。いずれ後は頼む」と後任を引き受けてくれた。
まだ26歳とトップには若かったし、足りないものもあった。海外客の開拓だ。2000年ごろ、海外から「ラーメン店をやりたい。つくり方を教えてくれ」という要請が届き始める。最初に麺を提供したのは香港の割烹店にいた札幌市出身の人で、「香港にラーメン店は多いが、九州のとんこつ系が多い。札幌の澄んだスープの味噌ラーメンをやりたい」とのことだった。
いま、35の国と地域へ麺を輸出。あくまで「ラーメン店をやりたい。教えてくれ」という声に応えるのが軸で、麺だけ提供して「売れようが売れまいが関係ない」というやり方は取らない。納入先が流行れば、みた人が「うちもやりたい」と言ってくる。その好循環も、「すべては客の満足」が生んでいる。
2001年3月、社長に就任。これまでにやりたいことがどのぐらいできたかは、山登りで言えばまだ1合目か2合目。海外へいくとラーメンは「和食」で、いろいろな食材を取り込める。乳製品も使えるし、トマト味もできる。国内でも同じ。可能性はたっぷりあって、やめられない。『源流』からの流れに、まだまだ乗り続けていく。
(ジャーナリスト・街風隆雄)
※AERA 2025年5月26日号
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