育ててくれた母・チヨ子さん(92)と江蔵さん。50代からは両親と同居し、寄り添ってきたという(写真:江蔵さん提供)

 生みの親に会いたい。次にはすぐ、そう思った。今どこにいるのか、どんな人たちなのか。取り違えられた相手はどんなふうに育てられたのか、話を聞きたかった。

 だが、墨田産院はこのとき既に閉院しており、東京都に問い合わせると「当時の資料は残っていない」と言われた。やむなく智さんは、自分と同時期に墨田区で生まれた人の家を一軒ずつ回り始める。住民基本台帳を閲覧するため、仕事を2週間ほど休んで区役所に通い、約80人の該当者の情報を拾い出した。

 当時は九州に住んでいたが、週末ごとに上京してレンタカーを借り、後には安い中古車を購入し、該当者を訪ね歩いた。だが取り違えられたと思われる相手は見つからなかった。隣接する台東区でも探そうとしたが、この頃から個人情報の取り扱いが厳格化され、台帳の閲覧ができなくなっていた。

 取り違えの相手探しと並行して、東京都に対する訴訟も起こした。東京地裁は時効を理由に賠償請求を棄却したが、智さんは控訴。06年、東京高裁は請求を認め、智さんと両親に計2千万円を支払うよう都に命じた。

石原知事が公言するも

 だが、その後も都は取り違えの相手探しには消極的だった。地裁判決後、当時の石原慎太郎知事は親探しへの全面協力を公言したが、高裁判決後はなぜか一転。都は調査への協力を拒んだ。

 諦める気はなかった。

 06年春、智さんは墨田区に、取り違えが起きた時期の戸籍受付帳の情報公開を請求した。だが、出てきた資料は肝心な名前や住所が全て黒塗りだった。その後も毎年、誕生日の時期に請求を行ってきた。「戸籍の訂正のため」「母が産んだ子を調べるため」など様々な請求理由を添えたが、黒塗りの区の対応は変わらなかった。

「『個人情報だから出せない』と言うけれど、それは僕の個人情報でもある。(黒塗りの帳面を見るたび)鼻先に人参をぶら下げられて『食べてはダメですよ』と言われているような心境でした」

 もう一度訴訟を起こしたかったが、他界した弁護士の後任がなかなか見つからなかった。50人近い弁護士に「難しい訴訟だ」と断られ、ようやく引き受けてくれたのが現在の海渡雄一弁護士だった。社民党・福島瑞穂議員の夫でもある。「天使に会った気がした」と智さんは振り返る。

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