
日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2025年5月19日号では、前号に引き続き住友生命保険・橋本雅博会長が登場し、「源流」である関西学院中学部などを訪れた。
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記憶は、そのまま触れずにしておけば、正確さはかなり保たれるようだ。でも、何度か「思い出」の棚から引き出したり戻したりすると「いいこと」だけが残りがちで、ときに「美化」もされていく。だが、ひとたび、その「思い出」の地に立つと、「嫌なこと」「辛かったこと」も甦ってくることがある。
それでも、過ぎた歳月が物事を静かに受け止めることを身に付けさせてくれて、心の痛みや苦みは湧いてこない。忘れていた「大事なこと」に気づき、「そうか」と頷き、気持ちを新たに明日へ向かうこともできる。
企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。
3月下旬、兵庫県西宮市の阪急電鉄仁川駅から近い関西学院中学部を、連載の企画で一緒に訪ねた。ここから、橋本雅博さんがビジネスパーソンとしての『源流』とする「他人の言う通りにするのではなく、自分で考えて決める」という歩みが、始まった。
のんびりした校風に自分で選んだ中学校校舎はそのままだ
春休みで出入りする生徒は少なく、校内は静かだった。1956年2月に西宮市の西宮北口駅近くで生まれ、父が建設会社を辞めて会社をつくったのを機に、家族で同県宝塚市の逆瀬川駅近くへ転居。近くの市立小学校へ通った。
小学校の学区内に大企業の社宅がいくつもあり、児童たちの両親は高学歴で、子どもを中学校は進学校へ進ませる傾向があった。その一つに自分も受験を勧められたが、学校見学に回ると、関西学院ののんびりした雰囲気にひかれた。高校から大学まであって親が受験の心配をしないで済むのも、選んだ理由だ。
卒業したのは71年春。半世紀余りぶりの再訪だ。校舎はモダンな造りで、驚くほど変わっていない。近くにある「考える人」のような像も、記憶の棚にある。自由な校風で、責任をわきまえれば信じる道を進んでいい、と感じていた。