
〈キャンプで『国防教育』を行うことになりはしないかなどと議論となり、同庁の内外からも、「今年2月の成年式以来、さわやかなイメージで国民に親しまれている宮さまを政治対立に巻き込んでキズをつけるべきではない」という意見が出ていたところだった〉(1980年7月29日付朝日新聞)
令和の現在、反皇室闘争やゲリラ闘争が頻発していた当時ほどの緊張感はない。ただし、いまは別の悩みがあるようだ。
「主催者から多くのお出まし願いがあっても、宮内庁は慎重に選定せざるを得ないでしょう」
そう話すのは、宮内庁職員を長く務めた皇室解説者の山下晋司さんだ。
公務は、皇族ごとに担当が決まっている。令和への代替わりの際に、全国植樹祭などの三大行幸啓や戦没者追悼式といった主要公務を両陛下が引き継ぎ、当時の皇太子ご夫妻が担ってきた「七大行啓」といった主要な地方公務の一部を秋篠宮ご夫妻が引き継いだ。
また、秋篠宮家の長女の小室眞子さんが結婚したのちは、主に妹の佳子さまがその名誉総裁職や公務を担っている。

そして、愛子さまは24年春に大学を卒業して以降は、日赤に勤務をしながら公務を務めている。
「もちろん成年皇族としての公務が優先されますが、天皇家の内親王にふさわしい内容であるか、という点が重要です。すでに他の皇族方が担っておられる公務を引き継ぐという訳にはいかないでしょうから、単発というか不定期であって、愛子内親王殿下のご関心やライフワークに沿ったものが多くなっていくのではないでしょうか」
愛子さまが初の「おことば」を述べる機会となった、「世界災害救急医学会」の式典は、各国の持ち回りで開催されるため東京では26年ぶりの開催であることに加え、愛子さまが勤務する日赤の活動内容との相性もよく、まさにその条件に当てはまる公務であった。