
空中飛行に、狐の妖術。室町末期を生きた細川政元は、足利将軍を追放するなど戦国時代の引き金を引いたキーパーソンでありながら、魔法習得の修行に没頭した、史上稀に見る権力者だ。
長年細川氏の研究をしている武庫川女子大学の古野貢教授は、著書「オカルト武将・細川政元」の中で、政元の放った「呪いのお経」についても言及している。
新刊「『オカルト武将・細川政元 ――室町を戦国に変えた「ポスト応仁の乱の覇者」』(朝日新書)」から一部を抜粋して解説する。
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政元の唱えた「呪いのお経」
『足利季世記』で政元に言及している部分の最後の方には、「あるときは経を読み、多羅尼をへんじければ、見る人身の毛もよだちける」とあります。ここで出てくる多羅尼経というのは少し変わったお経で、呪詛のために使うものです。
当時の人々は、呪詛のために使うお経があること、そのような性質を持つ言葉を大声で唱えるのは相手を呪おうとしているのだ、ということを知っています。ですから、突然目の前でやられたら、普通は怯えてしまうでしょう。呪文を唱えながら「こっちを見ろ」みたいなことを言われたら尚更です。
では、誰もが呪詛のお経を唱えることができるのでしょうか。そうではありません。現代のようにいろいろな情報で溢れている時代ではないのです。いわゆる知識や教養をより高いレベルで持っているのは僧侶、つまりお坊さんだとされていました。もちろん、公家なども文字の読み書きはできるわけですが、僧侶は人が亡くなる時にあげるお経を修行によって身につけています。人々から敬意を向けられるにあたって、この死後の世界と関わりを持つことが大きかったのではないかと考えられています。
しかし、死者をなだめるためにお経を唱えるのではなく、他者を呪咀するためのお経(少なくともそういうことができると人々に信じられているお経)を、平気で唱えるようなことがあれば、それは「いったい何をするんだ」「なんと危ない人だろう」と思われても仕方がない話です。現代エンタメで言えば〝デスノート〞、つまりそこに相手の名前を書けば人が殺せるノートを堂々と持って歩いているようなものです。