
母は7階から身を投げた
母は、そんな父との生活が限界だったらしい。杏さんが幼稚園生のころ、建物の7階から身を投げてしまう。命はとりとめたものの、全身骨折の重傷を負った。そのような状態の母を見ても、父は何も思わない様子だったという。
「父には、家庭を作る気持ちなんてゼロだったんだと思います。感情的になると話が通じないし、DVをしている自覚もない」
小学校4年生のとき、両親は離婚。母親は東京へ行き、杏さんと父親の2人暮らしが始まった。父は相変わらず仕事をせず、料理、洗濯、掃除などの家事をしており、杏さんが手伝うことも嫌がった。
「雪が降って寒い日は、布団に湯たんぽを入れてくれたり、私を先に寝かせてくれたりして、優しいところもあったんです。それを思い出すと私もウルッとくるんですよ」
父は日に3時間怒鳴ってダメ出し
だが、その愛情はひどく歪んでいたようだ。
「毎日3時間ぐらい、がっちり怒鳴られていたんです。小学生のころから高校卒業まで、毎日。理由は、帰ってくるときに連絡がないとか、髪の毛が一本落ちているとか、本当にどうでもいいこと」
長い説教が終わると、入浴してすぐに就寝となる。杏さんは勉強をする時間も与えられなかった。
「たぶん、父はそのために生きていたんだと思います。毎日、ダメ出しする材料を探していました。仕事をしないから暇だし、身近に弱い者がいて、上に立つには私はちょうどいい存在だったんでしょうね。私は、父の言葉をまともに受けると気が狂ってしまいそうだったから、頭に入れないようにしていました」
裸で姿勢の指導
さらに、父親から性的な視線も感じ取っていたという。
「直接何かされたことはないんですけど、裸で姿勢の指導をされたり、触られたりとかはあったので。私は女性として見られないように、女の子が必要な下着とかも極力必要ないフリをしたり、胸を目立たなくするために猫背にしたりして、何とか耐えしのいでいました。父から怒られないことと、被害に遭わないことばかり考えて生活していたんです」