
――1979年8月にロサンゼルスのTHE GREEK THEATREで行われた初の海外公演ですね。
はい。いきなり細かい話をしますけど、アンコールで「東風」を演奏してるんですよ。1979年の海外ツアーはロンドンやパリでも行われているんですけど、THE GREEK THEATERのときだけ「東風」のベースのフレーズが違うんです。細野さんとお会いしたときにそのことを聞いたら「覚えてない」って仰ってましたけど(笑)、当時の細野さんはスタジオミュージシャンとしても活躍していたので、「もしかしたら“ベーシスト脳”が残ってたかのかも」みたいなことも言っていて。

初期のYMOは「人間らしい“バンド”だった」
――細野さんはもちろん、高橋幸宏さん、坂本龍一さんも優れたプレイヤーでしたし、演奏のクオリティはすごく高いですよね。
すごいですよ。まず幸宏さんのドラムはYMOのコンセプトの核だと思っていて。細野さんも仰ってましたけど、クリック(一定のテンポをキープするためのガイド音)に合わせて叩くのを嫌うドラマーが多いなかで、幸宏さんはレコーディングのときから楽しんでやっていたそうなんです。そのうえでバンド全体が前のめりになりそうなところを引き戻したり、逆に勢いを出しているのがすごいなと。教授(坂本龍一)も当時はスタジオミュージシャンの側面が強かったと思うので、ステージであれだけの機材を演奏するというのは大変だったと思います。特に初期のYMOは「すごくバンドだったんだな」という印象がありますね。レコーディングでは実験というか、いろいろと新しいことをやっていたわけですけど、ライブはまったく別モノ。アルバムでしか聴いたことがない人がライブ音源を聴くと、イメージを覆すかもしれないですね。
――“YMO=テクノ”、コンピューターで制御された音楽というイメージもありますが、初期のライブはかなり生演奏の要素が強いですからね。
“無機質”“機械的”と表現されることもあるし、確かにそういう側面もあるんですけど、当時のライブを観ると人間らしい“バンド”だなという印象があるんですよ。