東浩紀/批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役
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 批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。

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 ZEN大学が開学した。完全オンラインの新しいタイプの大学で、主導するのはIT企業のドワンゴ。第1期は3380人が入学し、筆者も後期から授業をもつ。

 同時にZEN大学では「日本財団HUMAIプログラム」なるものを立ち上げた。人文社会領域でAIを活用する若手研究者を支援する奨励金プログラムで、最高年250万円まで補助が受けられる。読書会など研究者同士の交流も支援する。筆者はこちらにも関わる。そんなこともあり、最近はAIと文系領域の関係を考えている。

 大前提として、これからの文系研究者にAIの知識は必要不可欠だ。道具として便利というだけではない。文系は社会について考えるのが使命だが、AIはその社会を変える。著作権やプライバシーといった近代的権利は、生成AIの出現で今後根本から再編成される可能性が高い。AIが法を変える時代はすぐそこまで来ている。

 しかし、他方でAIが変えない、あるいは変えるべきではない領域もある。例えば食や性のような身体的経験の価値はあまり脅かされないだろう。難しいのは教育子育てだ。近い将来AIが親子の対話を代替することは可能になるだろうが、どこまで依存が許されるのか。極論に寄らない慎重な基準作りが求められる。

 いずれにせよ、AIについて文系領域で考えるべきことは山ほどある。ただし多くは地味な問題だ。

 AIについてはとても大きな話をする人が多い。近々人間を超えた知性が出現し、社会の構造が劇的に変わるという説を唱える人もいる。加速主義とかポストヒューマンとか呼ばれる立場だが、私見ではそんな変化は起きるとしても世紀単位の未来のことだろう。思考実験としては興味深いがそれ以上のものではない。

 人間はとてもしぶとい。SNSが現れ民主主義がアップデートされると言われて20年が経つが、現実はこのとおりだ。AIは大きく世界を変えるだろうが、しかし自ずと限界もある。これからの文系研究者に求められるのは、その境界の見極めだと考えている。

AERA 2025年5月5日-5月12日合併号

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