
死亡年齢の高齢化、葬式・墓の簡素化、家族関係の希薄化……、社会の変化とともに、死を取り巻く環境も大きく変化してきました。景気が良くなるとお葬式が派手になるという傾向があり、バブル景気の頃はハデ葬が当たり前でした。
この30年間、死生学の研究をしてきたシニア生活文化研究所代表理事の小谷みどりさんが、現代社会の「死」の捉え方を浮き彫りにする新刊、朝日選書『〈ひとり死〉時代の死生観』(朝日新聞出版)を発刊しました。同書から「お葬式の変化」を抜粋してお届けします。
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景気が良くなるとお葬式が派手になる傾向
そもそも歴史的にみれば、景気が良くなるとお葬式が派手になるという傾向があった。
戦争が終わった直後の1940年代後半から50年代半ばには、「新生活運動」が全国的に流行した。冠婚葬祭、贈答などの虚礼を廃止し、生活を合理化、近代化しようという考え方を指す。お葬式ではお香典や香典返し、花輪などを自粛する動きがあった。
今でも、沖縄では香典を1000円と取り決めている集落が多いし、群馬県高崎市や埼玉県入間(いるま)市のように、市役所のホームページで、香典の上限を示している自治体もある。例えば高崎市の場合、「香典は、1000円にしましょう」「お返しは辞退し、礼状のみ受け取るようにしましょう」「施主は会葬の御礼状を用意し、お返しは用意しないようにしましょう」「通夜では弔問者にお清め(カップ酒、砂糖等)は用意しないようにしましょう」と市民に呼び掛けている。
ところが高度経済成長期になると、いつの間にか新生活運動の考えは衰退し、お葬式は派手になっていき、1980年代後半からのバブル景気には盛大で派手なお葬式が増えた。例えば、出棺のときに白いハトを飛ばす「放鳥の儀」はこの頃に登場したし、自宅や葬儀会館などの入り口には水車やつくばいなどを配置し、家紋入りの灯ろうを飾った。
大阪の冠婚葬祭互助会でおこなうお葬式では、出棺のとき、シンセサイザーの音楽が流れ、スモークとレーザー光線が照射されるなか、僧侶とひつぎを乗せた電動カートが進み、その背後を遺族が歩くといった演出もあった。ちょうど結婚式も派手になった時期で、大型結婚式場ではゴンドラやスモーク、レーザー光線やキャンドルサービスが定着した。ハデ婚、ハデ葬が当たり前の時代だったのだ。