
批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。





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大阪・関西万博の開幕が迫っている。4月4日から6日まで開催されたテストラン(試験開場)に参加してきた。
テストランでは様々な課題が見えた。最大の問題は入場待機列だ。
今回の万博はアプリなどを駆使し「並ばない万博」を目指してきた。しかし現実には手荷物検査に手間取り、入場に1時間近くを要した。筆者が参加した5日の入場者は5万人弱。本番では数倍が見込まれる。しかも待機するのは日陰が一切ない剥き出しの広場だ。夏前に対策が必要だろう。
ほかも工事中のパビリオンが多いなど不安が残る。6日には高濃度のメタンガスが検知され騒ぎもあった。
しかしそれでも、万博の完成度は期待以上で、これならば来場者は十分に楽しめるのではないかと感じた。最大の驚きは大屋根リングだ。
総工費350億円とも言われる大屋根は、無駄使いの象徴として批判に晒されてきた。筆者も懐疑的だったし、発案者の藤本壮介氏と対話した後も納得できなかった。ところが実際に大屋根に上ると、この巨大建築の意義が直感的に理解できた。屋上の遊歩道からは、創意工夫を凝らしたパビリオンが箱庭のように見渡せるだけでなく、六甲の山々や淡路島も望める。万博に一体感を与え、会場内外の空間を繋ぐ欠かせない装置になっているのである。
むろんそれでも建築費が高すぎるという批判はあろう。半年で壊されるのもおかしい。それはそうだが、建築自体には必然性があったという話だ。
裏返せば、今回の万博はじつに広報や説明が拙かった。展示責任者など決定の過程も不透明だった。そのせいで疑心暗鬼を生み、対話や説得の場を作ることができなかった。それはたいへん不幸なことだったし、この点で政治の責任は大きい。維新の強引な手法や不作為は今後、厳しく追及すべきだ。
しかし、それとは別に、完成した万博を「楽しむ」権利が国民にはある。万博は万博で楽しみつつ、なぜこの楽しさが事前には説明され共有されなかったのかと、私たちの社会のあり方について議論するのが生産的なように思う。
※AERA 2025年4月21日号