同年は23試合に登板し、2勝を挙げたが、2年目以降は故障などで登板機会が減り、06年オフに戦力外通告を受けて現役引退。通算成績は44試合、7勝6敗、防御率4.76と、プロで大きく羽ばたくことはできなかった。
2008年、セ・パ12球団の中で唯一高卒ルーキーとして開幕1軍に抜てきされたのが、日本ハム・豊島明好だ。
北陸大谷時代は2年秋に北信越大会出場。身長169センチと小柄ながら、切れのある直球と多彩な変化球が武器の左腕は、高校生ドラフト6巡目で指名されたが、入団時は1巡目指名・中田翔(大阪桐蔭)の陰に隠れていた感があった。
だが、シーズンが開幕すると、豊島は2軍スタートの中田を尻目に、いきなり“1軍切符”を手にする。
中継ぎ左腕不足という苦しい台所事情から、オープン戦で好投した豊島は、大学・社会人ドラフト3巡目入団の宮西尚生とともに、球団の高卒1年目投手では、1979年の工藤幹夫以来29年ぶりの開幕1軍入りを実現した。
そして、3月26日の西武戦で平成生まれの選手では初の1軍出場を果たし、8回の1イニングを3者凡退でまずまずのデビューを飾る。さらに4月2日のソフトバンク戦でも1回を無失点に抑えたが、1年目は2試合登板で終わった。
翌09年も、1軍合流後初登板となった3月7日の中日とのオープン戦では、1点ビハインドの8回に登板。トニ・ブランコを二ゴロに打ち取るなど無失点に抑えると、9回に味方が逆転し、オープン戦ながらプロ初勝利を挙げた。
さらに同10日の阪神戦でも6、7回の2イニングをパーフェクトに抑え、「変化球でストライクを取ることもできたし、内容も良かった」と自信を深めた。
ところが、3月17日のオリックス戦では、6回にグレッグ・ラロッカ、アレックス・カブレラ、タフィ・ローズ、ホセ・フェルナンデスの助っ人4人に本塁打を浴び、一挙5失点と炎上。公式戦も含めて同一チームの外国人選手4人が1ニングに本塁打を記録するという史上初の珍事に。