1月、東京・赤城神社での新春参拝と晴れ着お披露目会で。強風のなかで取材する50媒体ほどのメディアを前に開口一番「本日は寒い中、ありがとうございます」と気遣いを見せた(撮影:山本倫子)

 どの役を演じても呼吸するように自然。整った顔立ちからときに繰り広げられる変顔やコミカルな動きが笑いを誘う。コアな映画ファンもZ世代をも納得させる演技力。俳優になりたいと思ったのは保育園のときだというが「実は演技をしっかり学んだことはない」と聞いて驚いた。

 22年のドラマ「生き残った6人によると」に続き「アポロの歌」で高石を起用した監督・二宮健(33)は高石の魅力をこう分析する。

「本人から詳しく聞いてはいないんですが、高石さんは相当にアニメが好きで、たぶん無意識にアニメの発話や動きがインストールされているんだと思うんです。それはネガティブな意味の『アニメっぽさ』ではなく、説得力を持って違和感なくその感覚を肉体で表現できる。若い世代が彼女の演技に反応できるのは、そのへんから来ているのでは、と思います」

 たしかに高石は言っていた。

「子ども時代はテレビっ子で、流れてくるアニメを何でも観ていました。『銀魂』『セーラームーン』『ちびまる子ちゃん』……アニメだけじゃなく海外ドラマやバラエティーもテレビの前に正座して何時間も観ていたよ、と兄に言われました」

アートカレンダーの手渡しイベント前に楽屋で丁寧にサインをする。マスコミにもファンにもスタッフにも変わらぬ笑顔と明るさで接する高石のパーソナリティーは宮崎という土壌とあたたかな家族に育まれたのかもしれない(撮影:山本倫子)

 高石は2002年、宮崎県に生まれた。あかり、は本名で「世の中を明るく灯してほしい、という願いかららしいです」と高石は微笑む。父は宮崎県の山あいで育ち、母は名古屋市生まれの都会っ子。名古屋で出会った2人は結婚後、宮崎市内から離れたログハウスで暮らし始めた。高石は3歳年上の兄と、牛や鶏、など動物たちに囲まれてのびのびと育った。宮崎は人と人の距離感がとても近いと高石は言う。すれ違う人とは必ず挨拶をし、近所の家やお店に気軽に遊びに行った。秘密基地を作ろうと家の屋根に布団を引っ張り上げて寝っ転がり、隣人から大目玉を食らった思い出もある。「俳優になりたい」という思いと同時に演技の萌芽もいつしか自然と芽生えていた。

「演技というより『癖』みたいなものなんですけど、小さいころから『もし家族がいなくなったら?』を想像して『今日は泣いてみよう』とか『怒ってみよう』とかを一人でやっていたんです」

 家族と外を歩くときに「人から家族じゃなく他人だと思われる距離ってどんな感じだろう」と試しながら歩いたり、両親が運転する車の後部座席に一人で座りながら「隣に妹がいるように後ろの車の人に思わせるにはどうしたらいいだろう」と演じてみたり。誰かにそう思わせたら成功、というわけでもなく「ただただ、やりたい。説明できない感覚に突き動かされていた」と高石は笑う。近所の友人と俳優ごっこもよくやっていた。俳優と監督役に分かれて「すみません監督、間違えちゃいました!」「カットカット! もう1回!」を繰り返すのが楽しくてたまらなかった。

次のページ セリフは文字で憶えない 感情を自分の中に入れる