
フジテレビの帝王・日枝久が放逐された。せめて「フジサンケイグループ代表」職だけは手放したくなかったが、それも奪われる。「ブルータスよ、おまえもか」。いまの日枝はシーザーの心境にある。AERA 2025年4月14日号より。
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フジを傘下に有する持ち株会社のフジ・メディア・ホールディングス(FMH)の金光修社長は管理部門にいたことがあり、IRなど投資家対応を経験している。メガバンクや主幹事証券会社から「このままでは株主代表訴訟を起こされる。早く経営体制の刷新を」と忠告され、もはや「日枝降ろし」を断行するよりほかないと考えた。
日枝久は、フジとFMHの「取締役相談役」という一見すると退いた立場にいたが、人事権は決して手放さないでいた。フジとFMHの取締役、常勤監査役、局長、主要グループ会社の役員人事は、社長や人事担当の役員が日枝と相談したうえで決めてきた。取締役候補者は内示を受けると、フジ本社20階の日枝の部屋に足を運び、激励を受けるのが通例だった。
さらに会長と社長人事は、すべて日枝が決めており、交代の理由は決して告げられることはなかったが、「日枝さんへの100%、いや200%の忠誠心」(グループ会社トップの評)が登用の尺度になっていた。社外取締役や監査役、経営諮問委員会の委員の人選も同様に、日枝が有力スポンサーやフジサンケイグループの各社首脳らから起用している。つまり主要人事はすべて日枝が決めていたのだ。
「ウン」と言わぬまま
それなのに清水賢治の社長起用では日枝は意思を反映できなかった。これは37年間の日枝統治下にあって初めてのことだった。社外取締役や監査役も金光に加勢していった。総務省出身の社外取締役である吉田真貴子が主導し、日枝退任の道筋を作っていく。表向きの記者向け説明役を買って出たのは同じく社外取締役の斎藤清人(文化放送社長)だったが、大きな役割を果たしたのがキッコーマンの茂木友三郎名誉会長だった。「茂木さんが『日枝さんは辞めないとダメだよ』と言い出し、それに清田瞭(元日本取引所グループCEO)、伊東信一郎(元全日空社長)両取締役が同調した」。フジの元取締役はそう解説する。
清水が社長に就くと、金光と清水は社外取締役や監査役の協力を得て、日枝の実権を徐々に剥ぎ取っていった。清水は2月27日、FMHの取締役会に助言する「経営諮問委員会」のメンバーから日枝を外し、代わりに金光と自身を加えた。
「日枝さんは『ウン』と言っていなかった。見切り発車的に辞令が先に出ちゃった」(グループ首脳)