大本事件の検討

──宗教団体があそこまで過激化するというのは、当初は想像の埒外だったのですか。

 過激化して社会的事件を引き起こした宗教団体が、過去においてあったことを想起しました。

──過去の宗教事件、宗教団体の過激化について、歴史的に調べられたのですか。

 当時、(1921年と35年の)大本事件の取り締まり記録を読んでいます。時期としては1994年の秋で、オウム教団の対策を考える時期だったと思います。大本に対する旧内務省の特高警察の内偵記録に基づく『白日の下に』という書籍(杭迫軍二著、日刊労働通信社刊)を、菅沼さんからお借りして稲葉室長と読みました。

 それによると大本事件のときも警察官を相当数動員しており、オウム教団捜査のモデルになるようなものと考えました。大本事件での動員はどれくらいでしたでしょうか、300人くらいか、600人でしたか、メモしていたはずですが見当たりません。

──寺院を破壊した写真なども残っています。大規模なものだったのでしょう。

 そうです。最終的にはダイナマイトで神殿を破壊したというのですからね。

──そのとき読みとろうとしたのは、「宗教もここまで過激になるのか」と認識を深めるためですか。それとも、そうした宗教団体の取り締まりというのはどうやるべきか、という実際的なレベルだったのですか。

 宗教団体の過激化の例として読んだのではなく、宗教団体の取り締まり方法について学ぶことがあれば、との観点から読んでいます。大本事件の捜査に際しては、相当綿密に事前準備をしたうえで手入れをしています。世間では宗教弾圧というイメージで批判されていますが、「警察としては、十分に準備をした上で手入れしたのだなあ」という感想でしたね。

──ちなみに垣見さんは世代的に、大本がモデルになった高橋和巳の『邪宗門』を読まれましたか。

 読みましたがあとになってからです。オウム関係事件捜査が一段落した後、警察大学校長の時に読んでいます。

▼垣見氏の証言の詳細はこちら▼

地下鉄サリン事件はなぜ防げなかったのか――元警察庁刑事局長 30年後の証言死者14人、負傷者6千人以上を出した未曾有のテロ「地下鉄サリン事件」が起きてから2025年3月で30年が経つ。捜査の最終意思決定者が当時の資料やメモをもとに初めて証言。オウムとサリンの関係を掴みながらも、なぜ警察は事件を防げなかったのか。捜査の全内幕を語る。
▼▼▼AERA最新号はこちら▼▼▼