
オウム真理教による地下鉄サリン事件(1995年3月20日)の発生から30年が経過する。多くの犠牲者が出たこと、そして救済できなかったことへの問いかけは、歴史的にも、未だ明確な答えを得ているわけではない。そのなかで今回、当時の刑事警察のトップであり、警察側で当事者中の当事者といえる垣見隆氏が、いかにオウム事件に対峙したのか、初めて詳細に証言した。警察はオウムとどう向き合っていたのか。そして、地下鉄サリン事件は防ぐことはできなかったのか。(第1回/全3回)
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(この記事は『地下鉄サリン事件はなぜ防げなかったのか 元警察庁刑事局長 30年後の証言』(朝日新聞出版)から一部抜粋、再編集したものです)
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就任時点でのオウムへの認識
──垣見さんは警察庁で人事課長や長官官房長などを務めたあと、1993(平成5)年9月10日、刑事局長に就任しています。松本サリン事件(94年6月)の前年ですが、すでにこの時点で、オウムに絡んだ、もしくはその疑いがある事案、たとえば坂本堤弁護士一家事件や熊本県波野村(当時)の国土利用計画法違反等事件などが発生していました。オウム教団は90年1月に「真理党」を結成し、衆議院選挙で派手なパフォーマンスもしています(全員落選)。垣見さんが刑事局長に就任された段階で、これらオウム絡みの出来事について、どう把握し、認識されていたのか、お聞きしたいと思います。とりわけ、その時点では、教団の危険性をどう判断していたのですか。
垣見 就任時点では、オウム教団について犯罪集団という認識は持っておりませんでした。坂本事件の発生は1989(平成元)年11月で、当時は刑事企画課長です。刑事局ではありますが、いわゆる事件もの・強行犯事件は捜査一課、知能犯事件・選挙事案等は捜査二課が対応します。個々の事件への取り組みについて、私が刑事局長の時には、刑事企画課長もチームのなかで検討等に加わってもらいましたが、私自身が刑事企画課長の時は、坂本弁護士一家が所在不明になったことは新聞等の報道から知っていましたが、事件対応には関与していませんでした。
熊本の国土利用計画法違反等事件については、オウム教団が熊本県波野村(現阿蘇市)に土地を購入する動きがあったのが90年の5月頃かと思いますが、その時は、刑事企画課長から人事課長に異動しており(同年4月)、同年10月に手入れ(摘発)があった際も全く関わっておりません。また、オウム教団が選挙に出た時は、奇妙な恰好で選挙運動をする様子を報道で見て、変わった団体だなとは思っていましたが、それ以上の認識はありませんでした。
ただ当時、すでに、坂本事件にオウム教団が関係しているんじゃないか、とする報道もあったように記憶しています。その後、刑事局長になってそれほど日が経たない頃、当時日本弁護士連合会会長の阿部三郎さんからの要請で、「坂本事件がなかなか解決しないので、事件を風化させないための一環として、空中にバルーンを飛ばして、一般の人に注意喚起したい」との相談があり、「それはよろしいのではないですか」と話をしたことはあります。