
9年かかって東大大学院を卒業
「父からは『学校をやめるか、芸能活動をやめるかどちらかにしなさい』と言われました。なので、学費も自分で出すことにして、一人暮らしも始めました。自分のことは自分でやると決めて、学校も芸能界も両方続けました」
2回留年して上がった3年生では医学部健康科学・看護学科(現・健康総合科学科)に進学。「正直、成績があまり良くなかったので人気の学部は選べなかったんです」と前置きしたうえで、健康科学・看護学科に進んだ理由をこう話す。
「テレビにも出ているので、生物の難しい勉強をやっています……というよりは、医療系のほうが多くの人に関わりがあるし、もしかしたら知識も生かせるかなと……ふんわりした感じで選びました」
その頃には完全に大学より、芸能界の仕事のほうが楽しくなっていた。しかし4年生になり、進路を決めなければいけないタイミングでは、卒業して芸能活動一本でやっていく自信は持てなかった。「とりあえず大学院に行って、結論を先延ばしにしていました」と思い返す。勉強に関しては「今思うともっと勉強しておけばよかった」と少し後悔も感じるという。
「今でも専門分野がないことがコンプレックスなんです。健康科学科という学科から公衆衛生の専門大学院には進みましたけど、熱心に何かを研究したわけではなく、とりあえず単位を取って……という学生生活でした。あんなに時間があったのになと。大学生ってそんなものかもしれないですけど、それでも就職した後に職歴で専門性をつけたりして、それが自信になっていきますよね。私はずいぶんぼんやりとしたままこの歳まで来ちゃったな、と少し後悔しています」
2013年、八田さんは学部入学から9年かかって大学院を修了。その年の12月、29歳の年に東大時代の同級生と結婚した。
とはいえ、もともとそこまで結婚にあこがれが強いタイプではなかった。「将来的に子どもを持つんだったら結婚しておいたほうがいい」というぐらいで、30代前半ぐらいで結婚、というぼんやりとしたイメージを持っている程度だった。しかし実際は、夫になった彼氏(当時)が関西の大学に再入学することになり、すぐにどこに住むかの判断に迫られた。そのとき、八田さんは比較的自由が利く身だったことから、「ついていくんだったらさすがに結婚しないと説明がつかないよね、ということで婚姻届けを提出しました。まさにそのときのタイミングと流れでしたね」