元フィギュア選手の中野友加里さん(撮影/写真映像部・佐藤創紀)
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 2000年代に多彩なジャンプと高速ドーナツスピンを武器に、フィギュアスケートのトップ選手として活躍した中野友加里さん(39)。現在は2児の母として子育てをしながら、フィギュアスケートの解説や審判、講演などの活動を行っています。中野さんは早稲田大学大学院を修了した10年に競技も引退し、フジテレビに就職したことでも話題になりました。競技と学業の両立、フジテレビ時代の苦労や思い出などを聞きました。

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「みどりさんのようにジャンプを跳びたい、みどりさんのようにオリンピックに行きたい、とずっと思っていました」

 愛知県出身の中野友加里さんは、兄がアイスホッケー、姉がフィギュアスケートをやっていた影響もあり、3歳のときからスケートを始めた。6歳のときに山田満知子コーチ率いるグランプリ東海クラブに入り、本格的に競技に取り組んだ。

 そんな中野さんの大きな目標となったのは、伊藤みどりさんの存在だ。伊藤さんは中野さんがまさにスケートを本格的に始めたころ、1992年のアルベールビル五輪でトリプルアクセルを跳んで銀メダルを獲得。その彼女が同じリンクで練習していた。

 中野さんが最も注目された2000年代は、女子フィギュア人気が一気に盛り上がった。上の世代は荒川静香、村主章枝、同世代には鈴木明子、安藤美姫、下の世代には浅田真央と、スター選手が次々に現れた。中野さんもシニア1年目の02-03シーズンにスケートアメリカでトリプルアクセルを着氷。国際スケート連盟(ISU)公認では女子として伊藤みどり、トーニャ・ハーディングに次ぐ3人目の快挙だった。女子フィギュアブームの渦中にいた中野さんは、そのフィーバーぶりをどう見ていたのか。

「マイナースポーツがメジャースポーツに駆け上がることは、時代の中でそうあることではありません。そんな中でスケートができた、ということはすごい幸せなことだったなと思います。真央ちゃんや美姫(ちゃん)への注目度がすごかったですが、3人目でもいいから注目されているということは、力になりました。彼女たちがいたからこそ私も頑張れたなと思います」

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「練習をすることも才能なんだよ」