これはにわかには納得しがたいが本当である。イングランド銀行のサイトにはこれを解説する論文が載っているそうだ。日本語では『イングランド銀行公式 経済がよくわかる10章』イングランド銀行 ルバル・パテル&ジャック・ミーニング著 村井章子訳)にも同様の内容が書かれてある。全国銀行協会の見解も同じだ。『図説 我が国の銀行(10訂版)』には「銀行が貸出しを行う際は、貸出先企業Xに現金を公布するのではなく、Xの預金口座に貸出金相当額を入金記帳する。つまり、銀行の貸出しの段階で預金は創造される仕組みである。」とある(本書からの孫引き)。
「お客様から預かった大切な預金を貸し出しております」は本当か?
よそから預かった預金を貸出しに回しているのではなく、銀行が貸し出しをすれば預金が生まれる。この事実は銀行マンでさえ理解しがたいものらしく、先日、仕事で某地銀の常務に話を伺う機会があったのだが、そこでも「お客様から預かった大切な預金を貸しだしております」というお馴染みの言い回しを聞かされた。しかし、この理解はまちがいである。
貸し出しをすれば預金が生まれる。この信用創造こそが資本主義の鍵である。信用創造のない取引は商業社会であって資本主義社会ではない。信用創造なくして、イノベーションは生まれない、著者がまず力説するのはここだ。
そして著者は、この企業と銀行の関係を、国家と中央銀行の関係にトレースする。国家を企業として捉えてシュンペーターのイノベーション論を展開する、これが本書のキモである。政治家は企業者だ。政治家はさまざまな公約を掲げそれを事業として実現させていくわけだからそう考えられる。政策(事業)には金がかかる。すると「財源どうする」という声が上がる。いわゆる「財源問題」だ。テレビのニュース番組もことあるごとに「財源どうする」のフレーズを差し挟む。しかし、「財源どうする」的な「財源問題」は「国民から預かった大切な税金を支出している」という考えであり、先ほどまちがいだと指摘した「お客様から預かった大切な預金を貸しだしている」と同類である。