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「日本三大ドヤ街」の一つで、度重なる暴動の歴史をもつ大阪市西成区の釜ケ崎。暴動の中でも特に規模が大きいとされるのが、1990年に6日間にわたり続いた22次暴動だ。【前編】ではその発端について、取り締まりに当たった元署員が語った。【後編】では、激化した暴動の様子と、直近の24次暴動について紹介する。発売中の書籍『西成DEEPインサイド』(朝日新聞出版)より一部抜粋・編集してお届けする。
※【前編】<「本当にスラム化」「ここは日本なのか」……大混乱の「西成暴動」で元署員が見た怒号・投石・放火の現場>より続く
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3日昼過ぎ、西成署のある係長が正面入り口から出てきて、署を囲む群衆の前でいきなり土下座した。
沈静化させたいと考えての個人的な行動だったが、「謝ってすむか」と激高させる結果に。早々に署内に戻った。
阪堺線の南霞町(みなみかすみちょう・現新今宮駅前)停留場(駅)の下り線駅舎は全焼した。その火災現場に向かう消防の広報車も囲まれ、放火された。大通りを走行中の車も次々にひっくり返された。
便乗した人間がコンビニを襲撃し、商品を奪い尽くした。自動販売機も荒らされ、現金が抜かれた。
6日間で労働者と警察官を合わせて約190人が負傷。10月7日までに55人が逮捕された。
別の元署員は暴動が激しくなる前の2日夜、署の前で群衆と向き合っていた。食べかけのカップラーメンを投げつけられ、制服がびしゃびしゃになった。
「食べ物を粗末にするなよ。投げるくらいなら食べさせてくれよ」。まだ、そんなやり取りができる雰囲気だった。
翌3日からは群衆は1千人を超え、手をつけられなくなった。そこら中で車が燃えていたが、消防車が近づくこともできない。
元署員は消火器を何本か持って消そうとしたが、到底、手に負えなかった。南霞町停留場が放火されたときもすぐ近くにいたので消火器を持って向かった。「車1台でも消せないのに。なすすべがなかった」