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ますます高騰するツアー市場において、ライブ音楽の1夜に50ドル(約7,700円)支払うのは妥当な金額のように思える。そしてそのチケットで米ニューヨーク市の575人収容の会場に入場し、ポール・マッカートニーのライブを観ることができるとしたら? それはまさに一生に一度のチャンスかもしれない。
火曜日の正午(現地時間2025年2月11日)、ポールが急遽その日の夜にマンハッタンの比類なきバワリー・ボールルームで公演を行うことが明らかになった。チケットは当日券売り場でのみ入手可能だった。当日券購入者のみで、1人1枚のチケット購入制限があるにもかかわらず、この公演は約30分で完売した。
ポールはマンハッタンの薄暗いクラブで数百人の観客を前に演奏することよりもスタジアムで数万人の観客を前に演奏することの方が慣れているだろうが、彼の長い活動期間を思えば(ザ・ビートルズが初めて米国で演奏したのは61年前だ)、彼を動揺させる観客がいるとは想像しにくい。この点に関しては、2000年代初頭から揺るぎないサポートを提供している彼の中心的なバック・バンド(キーボード/音楽監督のウィックス・ウィッケンス、ドラムのエイブ・ラボリエル・ジュニア、ギターのラスティ・アンダーソン、ギター兼ベースのブライアン・レイ)も同様だ。さらに、ホット・シティ・ホーンズ(2018年のポップアップ・イベント【グランド・セントラル・ステーション】で初めてポールと共演した)が入れ替わり立ち替わり登場し、「Jet」、「Got to Get You Into My Life」、「Lady Madonna」などの名曲でパンチの効いたバッキングを披露した。ポールは観客に、バンドのリハーサル時間が十分にとれなかったことを警告したが、そんなことはまったく感じさせなかった。故ジミ・ヘンドリックスの「Purple Haze」の即興ジャム・セッションの時だけ、演奏が綿密に計算されたものには聞こえなかったが、その曲では多少のカオスと戯れるのは悪いことではない。
ポール・マッカートニーのライブは、今でも宗教的な体験に近いものがあるようで、「Let It Be」では観客が涙を流し、「Let Me Roll It」ではカップルが揺れ動き、オープニングの「A Hard Day’s Night」では世代を超えた家族が一緒に歌っていた。もし以前にポールのコンサートに行ったことがあるなら、彼が各曲の前に語るいくつかのストーリーに聞き覚えがあるだろう。ポールは曲の間のMCで、「この話を聞いたことがあるかい?まあ、いずれにしてもこの話をするよ」と、そのことを茶目っ気たっぷりに認めていた。
その逸話のいくつかには、新たに現実の問題に直結するものがあった。「Mrs. Vanderbilt」を演奏する前(この曲は常にセットリストにあるわけではない)、ポールは2008年にウクライナのキエフにある独立広場(Independence Square)で、このウィングスの楽曲を歌ったことを語った。悲しげな口調で、そのコンサートには高揚感のある自由な雰囲気があったと振り返った。「またあの頃に戻れることを期待しよう」と彼は語り、ウクライナで現在も続いているロシアの侵略戦争に言及した。
また、公民権運動にインスパイアされた「Blackbird」を演奏する前に、彼はザ・ビートルズが初めての全米ツアー中に米南部で人種差別的な法律に直面したことを語った。「僕たちはそれがただばかげていると思っていた」と彼は率直に語り、フロリダ州ジャクソンビルの会場で、ザ・ビートルズが観客の人種統合を迫ったという話を披露した。これは彼が以前にも語った話だが、米国の歴史におけるこの瞬間に、人種間の対立を煽る政府や裁判所にアーティストが立ち向かうことは効果があると思い出す機会があっても良いはずだ。
ザ・ビートルズといえば、2023年に発表され、【グラミー賞】を受賞した同バンド最後の楽曲「Now and Then」を、ポールはこのライブで初めてアメリカで披露した。アップライト・ピアノでこのバラードを締めくくった後、彼は故ジョン・レノンに敬意を表した。1977年にジョンのデモ音源として始まったこの曲にとって、彼の愛した第二の故郷であるニューヨークで初めての米国でのパフォーマンスが行われるのはふさわしい。
ポールは、現地時間2月16日に開催される『サタデー・ナイト・ライブ』の50周年記念イベントを祝うために米ニューヨークを訪れている(このコメディ番組は彼のキャリアよりは少し若い、米ポップ・カルチャーの中心的存在だ)。バワリー・ボールルームでの公演が、『SNL』出演に向けたウォーミングアップだったのか、あるいは単に携帯電話の使用を禁止できる会場で(入り口ですべて預けられた)心ゆくまで演奏する機会だったのかはまだわからないが、火曜の夜にマンハッタンでできる50ドルの投資としては、間違いなく最高だった。
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