斉藤由貴さん。2月から、1989年開催の「YUKI's TOUR ONE・TWO」以来実に36年ぶりとなる全国ホールツアーが開催される(撮影/篠塚ようこ)

 言ってしまえば、歌なんて誰でも歌える。演技もそうで、台詞さえ覚えれば誰でもできる。「じゃあ、どこで価値を見出していくのか?」と考えたときに、私のやり方は心のエネルギーをしっかり使って、頭のなかの大きな図書館から、まだ使っていない引き出しを見つけることなのかなと。それが見つかったときはすごく嬉しいし、まだ挑戦すべきことがあると思えるんですよね。

「予感」「家族の食卓」など人気曲の歌詞も手掛けている斉藤由貴さん(撮影/篠塚ようこ)

手書きの歌詞カードで歌った「予感」

――アルバム『水響曲 第二楽章』には、斉藤さん自身が作詞を手がけた楽曲も収録されています。「予感」は人気曲の一つですが、この歌詞を書いたときのことは覚えていらっしゃいますか?

 いただいた曲を聴いたときに、駅のイメージが浮かんできて。東横線の電車が銀色だった時代の横浜駅のホームの情景が思い浮かんで、そこから歌詞に手を付けるまではそんなに時間はかかってないですね。メロディやアレンジがとてもドラマティックで、そのなかに飲み込まれるようにして歌詞を書いたことを覚えています。これも傲慢な言い方なんですが、私、この歌詞に自信があったんですよね。確か河口湖のスタジオだったと思うんですけど、レコーディングのときに「歌詞を見せる前に歌うので、文字を追わないで聴いてほしいです」と言ったんです。今考えるとずるいやり方だなと思うんですが、みなさん「わかった」と許してくださって。歌い終わってから「こういう歌詞です」と手書きの歌詞カードを渡したら、ディレクターさんも「いいと思うよ」と言ってくださいました。まあ、そう言うしかなかったんだと思いますが(笑)。

――(笑)。そもそも「予感」の歌詞は、斉藤さんから「書きたいです」と提案したんですか?

 ……覚えてないですね。最近ね、覚えていないことが増えました(笑)。とても大事なこと、すごく面白いことを若いときにたくさん経験したほうだと思うんですけど、にもかかわらず、いろんなことがわりとどうでもよくなって、記憶からすり抜けていくんですよ。「そんなものなんだな」というのが今のところの感想です(笑)。

――「家族の食卓」の歌詞は、斉藤さんご自身の思い出とつながっているんでしょうか?

 私の子どもの頃の情景ですね。両親が着物の帯を仕立てる裁縫業を営んでいて、家が仕事場だったんです。家の一階に大きな畳の部屋があって、ヒノキの仕事台があって。そこでひたすら帯を仕立てるのが両親の仕事で、つまり出社していないので、ごはんはいつも家族みんなで食べていたんですよ。そのことを思いながら書いた歌詞なんですが、父も他界しましたし、切なさは何倍にもなりましたね。

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