介護していた夫が亡くなり、現実を受け止められていないと話す59歳の女性。教員でもある女性は、教え子の前では普通に授業をするものの、長期休暇では寂しさから毎日泣く日々を送っているという。そんな女性に、鴻上尚史が伝えた、「喪の仕事に身を任せ続けていもよい」の真意とは。
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【相談247】
夫の死から約半年たちますが、まだ現実を受け入れられず苦しいです(59歳 女性 ベルコダ)
昨年8 月に、夫を病気で亡くしました。
元々持病があったし、障がい者で車椅子ユーザーで難病患者だったので、客観的にみたらかなり頑張った方なのかもしれません。しかし、私は夫の看病は全然苦ではなかったし、困ったときには夫に頼り切っていたので、夫を亡くしてからまだ立ち直れません。私の仕事は教員なので、教え子たちには夫の死去を話していないですし、学生たちに気を遣わせたくはないので、普通に授業を続けています。
でも、冬休みなどの長期休暇では、夫がいない寂しさで毎日泣いています。夫は若い頃から何度も九死に一生を得ていて、ドラマのように「ご家族を呼んでください」と言われたこともありました。私たちは子供に恵まれなかったため、家族は夫の両親と妹のことだったのですが。そんな経験をしてきたので、頭では何回もいざというときのシミュレーションをしてきたつもりで、最悪の時の心構えもできているつもりでした。でも、本当に夫がいなくなってしまったら、どこに行っても何を見ても思い出ばかりで、何か面白いことがあってもそれを話す相手もいなくて、泣くしかできません。多分このようなことは誰にでもあり得ることで、私一人が悲しいわけではないのだと理解しています。でも、心も体も追いつきません。
年末年始は何もやる気が起きず、昨日など病気でもないのに13時間寝ていました。ニュースなどで災害や事件で家族を亡くした人が、何年もその悲しみから脱することができないという話を目にします。夫が亡くなって4 カ月経ちますが、まだ夫と一緒に行ったレストラン等で外食することすらできません。(夫と一緒に行ったことがないところでは、食事できるのですが)家の中も荒れ放題です。
私の周りの人たちは、私が頑張って夫を介護していた、と褒めてくれますが、それを聞くと余計に心が痛みます。私は、友達と話していても、ついつい夫の話をしたくなってしまいます。でも、いつも夫の話をしてばかりでは友達に申し訳ないですし、夫のことを知らない人に夫の話をしても迷惑なだけではないかと思って、口をつぐんでしまいます。それで、ついつい聞き役になってしまいます。
私は元々ポジティブな性格だと思いますが、夫のことを思うと本当につらいです。かといって、仕事に没頭することもできません。夫が写っている写真をぼーっと眺めているしかできません。私はこのままでよいのでしょうか?夫に会いたい、という気持ちは薄れていった方がよいのでしょうか、それとも今の気持ちを持ち続けて泣き続けてよいのでしょうか。夫に帰ってきてもらいたいと毎日思っています。