※写真はイメージです。本文とは関係ありません(gettyimages)

「喪の仕事」の時期は、自分でコントロールできるものではありません。人によって、深さや大きさ、長さは違います。

 はっきりしているのは、「喪の仕事」をちゃんと終えるためには、哀しみや喪失感から目を背けてはいけないことです。

「夫に会いたい、という気持ちは薄れていった方がよいのでしょうか」とベルコダさんは書きますが、その大切な気持ちは、自分でコントロールできるものではありません。

「それとも今の気持ちを持ち続けて泣き続けてよいのでしょうか」

 そうです。それでいいと僕は思います。それが「喪の仕事」です。その感情に身を任すことが大切だと僕は思います。
 

 ベルコダさん。

 僕の知り合いに、子供を自死で亡くした人がいます。本当に哀しみ、葬式では半狂乱のようでした。

 一周忌に会うと「ずっと、あの子のことが忘れられなくて、いつも思い出して泣いている」と苦しそうに語られました。

 三周忌の時に「最近、ようやく、あの子のことを考えてない瞬間があって、苦しまない時間ができてきた」と、少しホッとした顔を見せました。

 それから25年後に久しぶりに会った時に、「あの子のことをずっと忘れよう、忘れようとして時を過ごしてきた。でも、最近は、逆に、思い出そう、思い出そうとしている」と切ない顔で言いました。

 僕はその言葉を聞きながら、泣きそうになりました。人間の真実を感じたからだと思います。
 

 ベルコダさん。

 僕の例が参考になるかどうか分かりませんが、僕は、父と母を二年連続で亡くした後、どうしようもなくなって、発表する当てのない小説を書き始めました。

 いつもの仕事をした後、深夜、こつこつと書き始めたのです。父と母に関する思い出の記録でした。

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