【鴻上さんの答え】
ベルコダさん。つらいですね。つらくてどうしようもないですよね。
ベルコダさんは、本当に夫を愛していたのですね。文章からその愛の深さと、夫を失った哀しみが痛切に伝わってきます。
「私はこのままでよいのでしょうか?」と書かれていますが、このままでいいと僕は思いますよ。
ベルコダさんが、哀しみのあまり、体調を崩して仕事に行けなくなったり、ずっと寝込んでしまったら問題ですが、ベルコダさんは気丈にも、仕事をちゃんと続けられているのです。
それだけでも素晴らしいのに、夫が亡くなったことを「学生たちに気を遣わせたくはないので、普通に授業を続けて」いる気遣いに、僕は感動します。
また、「いつも夫の話をしてばかりでは友達に申し訳ないですし、夫のことを知らない人に夫の話をしても迷惑なだけではないかと思って、口をつぐんでしまいます」という配慮も、頭が下がります。
確かに、いくら友人だといっても、毎回、同じ話を繰り返していては、相手もうんざりするでしょう。でも、愛する人を失った人にとっては、愛する人の思い出は、何十回、何百回、何千回話しても話し足りないのですから、終わりがありません。
ベルコダさんは、夫を亡くした哀しみの中でも、ちゃんと相手のことを考えられているのですよね。
ベルコダさんは、本当に素晴らしい人ですね。
ですからね、ベルコダさん。仕事に行く以外は、思いっきり、今のままでいいんじゃないかと僕は思います。
1日13時間寝ても、夫と行ったレストランに行けなくても、夫の写真を見てぼーっとしても、仕事に没頭できなくても(だって、ちゃんと仕事に行ってるんですから、それだけですごいことです)、家の中が荒れ放題でも、何の問題もないと思います。
ベルコダさんはきっと知っているでしょうが、大切な人を亡くした後、こうやって過ごす時間を「喪の仕事」と呼びます。英語では、「mourning work」です。
哀しみや喪失感に苦しむことは、決してネガティブなことではなく、また前を向いて生きていくためには、必要なプロセスなのです。