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 野球の競技人口が減っている。ライターの広尾晃さんは「2024年から導入した新規格の金属バットによって、甲子園ではスモールベースボール化が進んだ。これで子供たちの『野球離れ』をとめることは難しい」という――。

甲子園を国民的行事にした「画期的な道具」

 2024年の高校野球は、変革の年だったと言える。夏の大会での「試合時間の変更」や「クーリングタイムの導入」など「酷暑対策」が大きな話題となったが、2024年春に導入された「新規格の金属バット」も、高校野球を大きく変えた。

 高校野球が金属バットを導入した経緯について振り返る。

 高校野球で金属バットの使用が認められたのは、1974年のことだ。

 木製バットは原材料を自然乾燥させたものを使用する。だが、木材の資源枯渇や需要の拡大に伴って、メーカーは納期を短縮するために人工乾燥したバットを発売していた。こうしたバットは折れやすく、野球部、選手にとって用具代の負担増につながっていた。

 金属バット導入について多くの議論があったが、当時の日本高野連の佐伯達夫会長は「高校野球は限られた部費で日々活動をしており、経費がかかり過ぎることで将来の発展に問題がある。木製バットは今後も値上がりが予想されるため、ここで思い切った措置が必要」と導入を決めた。

 金属バットの導入は、高校野球を劇的に変えたと言ってよい。

 1982年夏、春の甲子園を制した徳島県立池田高校はウエイトトレーニングをするなど「当たれば飛ぶ」金属バットの特性を生かした野球に徹して一時代を築いた。

 そして池田の「夏春夏」の3連覇を阻止したPL学園高校は、桑田、清原のKKコンビで一世を風靡。清原和博は甲子園最多の13本塁打を打っている。

 本塁打が飛び交う派手な試合が多くなった甲子園大会は大人気となり、プロ野球に肩を並べるようなスポーツイベントになった。

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