相方の岩井も「腐り芸人」でブレイク
幼なじみの岩井勇気とM-1グランプリに憧れていたふたりは、06年にハライチを結成。やがて“ノリボケ漫才”を発明し、09年には結成4年目でM-1決勝戦に進出した。
「M-1に出るためにコンビを結成したふたりは、アップテンポなノリボケ漫才という新しいスタイルを発明し、4年目で決勝に進出します。その後、10年、15年、16年と決勝進出を果たし、ラストイヤーとなった21年大会では敗者復活枠からまた決勝に返り咲くという、実力派芸人です。最初は澤部さんがテレビで単独で売れてしまったため、岩井さんも苦しんでいた期間もあったかと思いますが、岩井さんがひねくれた視点で芸能界をクサすという“腐り芸人”という立ち位置にたどり着いたことで、コンビとしての実力を視聴者に再認識させられたと思います」(前出の放送作家)
ハライチの“頭脳”は岩井だが、コンビの笑いをわかりやすくしているのは澤部のツッコミ力だろう。
「単独で澤部さんがこれだけテレビに出ていたら、コンビ仲は悪くなりそうな気もしますが、テレビで売れてからもM-1に挑戦し続け、ちゃんと結果を出しているのは本当にすごいことです。ただ、ノリボケ漫才がハライチの代名詞になってしまったため、そのスタイルを超えて新しい漫才を構築できなかった感もあります。それゆえ、M-1は無冠に終わってしまったのではないでしょうか」(同)