それまでだって、別に毎年帰っていたわけではありません。実家が鎌倉市にあるということもあって、混雑する正月はあまり近づきたくなかったし、大学時代は友人たちとのカウントダウンのほうを優先したかったし、若い頃は恋人と二人で過ごすことも多かった気がします。だからすぐには気づかなかったのですが、「別に帰りたくないけれども帰ろうと思えば帰れる家」という存在はことのほか大きく、なくしてしまうと大変心もとないものでした。
正月、深夜のコンビニで感じる孤独
それに、若い時に比べると友人たちと繁華街でわいわいする年末や恋人と海外旅行に行く正月という気分でもなくなり、母が生きていれば正月は実家で過ごしていただろうなぁと思うことはあります。もちろん、そうなったらなったでやっぱり恋人と過ごしたい、実家に帰って来いと言う親がウザイ、と思っていたかもしれないし、母が生きていて実家の私の部屋がそのまま保存されていたところで、本当に帰っていたかはまた別の話なのですが。
だから旦那さんの実家をはじめとして、当たり前のようにそこにあり、当たり前のように温かく迎え入れてくれる実家を持つ人たちへの複雑な思いや、辛うじてあったはずなのに今は失ってしまった何かを惜しむ気持ちはとてもよくわかります。正月というと、ぎらぎらと楽しい若い時代を過ぎてしまえば割とみんな実家でのんびりしているものですから、帰る場所のある人とない人の差が特に顕在化しやすいし、みんなが帰省した後の都心のコンビニに深夜に入ったり、普段より空いている道路でタクシーに乗ったりすると、孤独を感じますよね。