芸能界入りに猛反対だった父親
――建築士への志があった中で、芸能界へ進むことになったきっかけは何だったのでしょうか。
卒業して2級建築士を受験して、1級を取得するために建築事務所に入ろうと就職活動をしていました。それで東京に行ったときに、今の事務所にスカウトされたんです。
声をかけてもらったはいいんですが、「すぐに上京して演技のレッスンを受ける」ことが所属する条件でした。そのときすでに23歳。芸能って他の仕事と比べると、時間の流れがすごく速い業種だから、今つかまないと一生チャンスがないし、年齢も年齢なので、これが最後のチャンスだと思ってしまったんです。建築の仕事は年齢を重ねた後でもできると考えたので、まずは今目の前にある芸能の仕事にチャレンジしようと決めました。
――ご両親からは何か言われましたか。
両親は大反対でしたね。私にとってはそれが初めての反抗だったかもしれないです。でも、私はすぐに行動しなきゃと思っていたので、スカウトから1週間後ぐらいには上京したんです。家を契約する時間もないからシェアハウスを借りて、そのあとすぐレッスン漬けの日々になって……。今考えても、よく飛び込んだなと思います。
それまではずっと実家でぬくぬくと過ごしていて、両親が勧める高校、大学に行って、就職もはじめは実家から通えるところ、と考えていたので、まさにレールに乗った人生でした。芸能界へのチャレンジは、初めて自分の意思で決定したことなので、後悔はまったくなかったですが、両親の説得は本当に大変でした。特に父からの反対が激しかったですね。「芸能界なんて、サラダしか食べられないし、地獄に落ちるよ」って言われました(笑)。私は反対されている中、勝手に出ていって、半年間ぐらい連絡を取らなかったですね。
でもミス・ワールドの日本大会でグランプリを取ったときに、母に電話したんです。そのとき時には、母は比較的中立で応援してくれていたんです。そこで母から言われた言葉は、「グランプリ取ったの、お父さんが最初に知ってたよ」でした。結局一番応援してくれていたのは、父だったんです。そこから私も歩み寄って、父も「おめでとう」と言ってくれて、仲直りできました。