田中道子さん(撮影/和仁貢介)
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 モデル・俳優として活躍しながらも、2022年に1級建築士試験に合格した田中道子さん(35)。現在の事務所にスカウトされて芸能活動を始めたのは、23歳のときでした。他の人と比べて遅めの芸能界入りとなったことで、最初は大変な苦労があったといいます。大学卒業後に地元・浜松市から出ようと思ったきっかけや、モデルから俳優に転身して感じた障壁などについておうかがいしました。

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――田中さんは静岡文化芸術大学デザイン学部空間造形学科を卒業していますが、もともと建築に興味があったのですか。

 正直に言うと、学部選びを間違えただけだったんです(笑)。もともとゲームクリエイターになりたくて、学部の名前が「デザイン学部空間造形学科」だから、3D空間をデザインしたりするんだろうなと思ってたんです。名前だけで決めちゃったので、入ったら「あれっ?」って……。

 入学して初めて、「RC構造ってコンクリートなんだ」と知ったぐらい、本当になんの知識もない状態でした。周りは建築が好きな人、製図もちょっとやっている人、高校から学んできている人など熱量が高くて、最初の1~2年ぐらいは完全に落ちこぼれでしたね。

――学んでいくうちに興味を持ち始めたんでしょうか。

 大学3年のときに東日本大震災が起きたのですが、そのときはちょうど将来、社会にどうやって出ていこうか悩んでいた時期でした。テレビで被災地の様子を見ていて、人間の生活を守る「衣・食・住」に関わるお仕事ってすごくやりがいがあるんじゃないか、と再認識させられました。

 私が学んでいることはまさにそのど真ん中だから、それを生かせたら社会に役立てる、社会貢献できるんじゃないかと考えて、それから「建築士」を意識し始めました。そこからは本気で勉強へのスイッチが入って、卒業後は2級建築士を取得して、いずれは1級も……と、確固たる目標に変わっていきました。

――一方で在学中にミス浜松でグランプリに輝き、ミス・ユニバース・ジャパンでは3位に選出されています。芸能界への興味もあったのでしょうか。

 いやそれが、全然なかったんです。実はミス浜松は、副賞の車目当てで……(笑)。18歳で免許を取って、母の車を運転していたときに前の車に追突して、廃車にしてしまったんです。でもお金もないしどうしよう……と思っているところに、友人がミス浜松のことを教えてくれて。浜松はずっと育ってきて大好きだし、優勝したら車までもらえるし……という、ちょっと不純な動機で応募しました。

 でも思惑が外れて、私の年から車がレンタルになっちゃったんですよ! しかも真っ赤なスポーツカーみたいなすごく目立つ車だったので、結局、母は全然乗りませんでしたね(笑)。

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スカウトされて1週間後に上京