震災1カ月後、避難所を訪れて被災者に話を聞く貝原知事。自身は県庁に3カ月余り泊まり込んだという=1995年2月17日

 貝原が不慮の事故で亡くなって10年となった昨年、兵庫県は斎藤知事のパワハラや物品受領(いわゆる「おねだり」)などの疑惑──全体として、知事と側近による県政私物化と言えるだろう──を告発する文書問題に揺れた。県議会の全会派から不信任を突き付けられ、「知事の資質」を問われた斎藤は、出直し選挙で劇的な再選を果たしたものの、デマと誹謗中傷が飛び交った異様な選挙戦は、今も県政に深い傷を残している。

 そんな中、6434人の犠牲者を出したあの震災から30年を迎える。

震災の経験が兵庫を「防災先進県」に

 災害において知事の役割はきわめて大きい。緊急時対応や復旧・復興の成否は知事の姿勢にかかっていると、室崎益輝・神戸大学名誉教授は語る。防災・復興研究を半世紀以上続け、兵庫県をはじめ、多くの被災自治体に対して支援や提言を行ってきた実感だ。

「もちろん国の予算や法律の制約は受けますが、知事が積極的に行動すれば、独自の仕組みや制度を打ち出せる。阪神・淡路が良い例です。私は貝原知事とはよくケンカもしましたけど、あの人がいなければ、兵庫県は今のように復興できていません」

 たとえば、被災者の自立支援から被災地再生までさまざまな用途に活用できる「復興基金」。各分野の有識者が被災者と行政の間に立つ「被災者復興支援会議」。市民運動とも連携し、公的な個人給付を初めて実現させた「被災者生活再建支援法」。それでも対象外となる住宅再建については県独自の共済制度を模索し、後に「フェニックス共済」として実を結んだ。

「仕組みがないからできないではなく、なければ作ろうと自ら動く。これは政治リーダーにしかできない。貝原知事だけでなく、後を継いだ井戸知事もそうでした」と言うのは、兵庫県職員から防災研究者となった青田良介・兵庫県立大学大学院教授だ。

 井戸は2011年の東日本大震災の直後、関西広域連合にカウンターパート方式の支援を提案した。府県ごとに担当する被災県を決め、長期的に支援する仕組みで、兵庫県は宮城県を担当。今では国がこの方式を制度化している。

「16年の地震では、いち早く益城町に県職員を派遣しています。要請を待たず、プッシュ型で支援する。貝原知事も多忙の合間に避難所を訪ね、直接声を聞いていた。自分の目で現場を見て必要な支援を考える姿勢は、両知事に共通していたと思います」

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斎藤県政で迎える「震災30年」への懸念