告発文書問題に揺れ、再選を果たした2024年最後の定例会見に臨んだ斎藤知事=2024年12月26日(写真:松本 創)

 防災研究や教訓の継承を担う人材育成も貝原-井戸体制の下で進んだ。青田教授が勤務する県立大学の減災復興政策研究科や、貝原が理事長を務めた「ひょうご震災記念21世紀研究機構」もそうだし、それらが入居している「人と防災未来センター」は、災害ミュージアムとして一般公開されている。

 あらゆる災害に関する知見と人材を蓄積し、国内外に伝える。南海トラフ地震をはじめ次に来る巨大災害に備え、防災体制を構築する。この30年間、兵庫県は「防災先進県」を最大のアイデンティティーとしてきた。震災直後の県議会で、「防災都市の建設に死力を尽くす」と貝原が述べた通りに。

 ところが斎藤県政になってから、それが揺らぎ始めたように見える。「知事は防災や震災の伝承に関心が薄いのではないか」。そう懸念する声が県庁の内外から聞こえてくる。

斎藤県政で迎える「震災30年」への懸念

 現在に至るまで兵庫県政を揺るがす元西播磨県民局長の告発文書。その冒頭は震災に関する項目だった。

 貝原の後を受けて、ひょうご震災記念21世紀研究機構の理事長を務めていた五百旗頭真・神戸大学名誉教授が2024年3月、機構の理事長室で倒れ、急死した。その原因は、斎藤の命を受けた片山安孝副知事から副理事長の研究者2人を解任する方針を通告されたことだった、とする内容である。

 告発文書に書かれた解任通告の日付が不正確だった──実際は死去の前日ではなく、6日前だった──ことや、死因と解任人事の直接的関係が証明不能なため、斎藤も片山も「事実ではない」と百条委員会で否定している。だが、複数の関係者によれば、突然の一方的な解任通告に五百旗頭が憤り、夜も眠れない状態だったことは事実である可能性が高い。

 元県民局長が問うていたのは、震災30年を控えた時期の人事として適切だったのかということだ。外郭団体のスリム化を名目に、貝原・井戸という前任の知事に連なる人材を排除し、震災研究や伝承の取り組みを縮小してよいのか、と。

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表面上は整っていても、本質には届かない