このたび、「北総四都市江戸紀行-佐倉・成田・佐原・銚子:百万都市江戸を支えた江戸近郊の四つの代表的な町並み群」が日本遺産に認定されました。水郷と伊能忠敬の佐原、新勝寺と国際空港の成田、醤油倉と日本一の漁港の銚子などの全国区の有名どころと比べると、佐倉といわれても場所自体よくわからない、という人が大半ではないでしょうか。
思い浮かぶのは長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督やマラソン指導者の小出義雄さんや人気JポップバンドBUMP OF CHICKENの出身地、人気漫画「弱虫ペダル」の舞台・・・そんな地味な佐倉ですが、実は意外に見所が多く、一日二日では周りきれないほどです。充実した秋の散策に最適な、佐倉の町をご紹介します。
江戸譜代大名の城下町佐倉の顔・佐倉城址公園には日本の歴史の殿堂が
まずは町の中心・佐倉城址公園へ。佐倉は、江戸時代に佐倉藩の城下町として栄えた町。北側を京成、南をJRの佐倉駅に挟まれた一帯が旧城下町に当たります。有力譜代大名が城主を勤める11万石の佐倉藩として、江戸期を通じて繁栄しました。中でも堀田氏はもっとも長く城主をつとめ、幕末期の藩主・堀田正睦(ほったまさよし)は、日本を開国に導いた開明的な老中筆頭として有名です。
「日本100名城」にも選定されている佐倉城は、室町時代末期に千葉氏の一族鹿島氏が築いた中世城郭(鹿島城)を土台に、慶長15年(1610年)に佐倉に封ぜられた家康の落し種とも言われる土井利勝が築造した平山城です。江戸城が徳川家康の入城の際に改築される際、太田道灌が15世紀に築いた天守(静勝軒)を貰い受け、佐倉城の天守としました。江戸末期に失火で消失してしまいましたが、江戸幕府との強い関係性を物語ります。明治維新後には城址に陸軍歩兵第二連隊(後に第五十七連隊・通称佐倉連隊)の施設建設のために櫓や門などはそのほとんどが取り壊されてしまいましたが、現在も巨大な馬出空堀や天守跡、銅櫓跡、広大な水堀や巨大な空堀などの城郭の形状が良好に保たれて、古城跡好きには必見の歴史遺構です。
現在は四季折々の花を咲かせる広大な公園として整備されて、お花見や紅葉などで多くの人が訪れますが、巨木が枝を伸ばし鬱蒼としたエリアには佐倉藩の姫を過失から死なせてしまった乳母が入水したとしたと伝わる「姥ヶ池」、十二段のはずなのに夜中には一段増えると噂される佐倉連隊ゆかりの「十三階段」、かつて巨大な蛇に人が木に宙吊りにされたという「へび坂」、わけのわからないものが夜中にざらざらと降りてくるという「あたご坂」なんていう心霊スポットもありますので、こわいものファンの方にも是非。
そして、城内北部の椎木曲輪にそびえるのが明治百年記念事業として昭和58年に開館した国立歴史民俗博物館。 日本初の国立歴史博物館であり、膨大な実物資料に加えて精密な複製品はもちろん、誰もがひと目で理解できるよう学問的に裏付けられた復元模型・ジオラマ、展示全てに個別でついた音声ガイドと資料の無料プリント配布などを本格的に取り入れた画期的な博物館でもあります。延べ床面積約3万5千平方メートルの壮大な展示面積に、 原始・古代から現代に至るまでの歴史と日本人の民俗世界をテーマに、展示の充実振りには圧倒されること請け合いです。館内には貴重な資料の閲覧が出来る図書館、古代赤米を使用した「古代カレー」が名物のレストラン、そして歴博でしか買えない貴重な出版物を販売する書店も併設。特別展示や講演も充実。訪れた人たちは誰もが目を見張ります。
関東唯一侍町・鉤の手に曲がった小道…作り物ではない「江戸時代」がそこにある
武家屋敷というと、九州・中国地方の各地や金沢などが有名ですが、佐倉の武家屋敷街は明治期の混乱が激しかった関東地方では唯一。
佐倉の武家屋敷は21棟が残存し、そのうち5棟がこの「武家屋敷通り」にあり、うち三棟「武居家」「河原家」「但馬家」は公開され、当時の中級武士の暮らしぶりをつぶさに見学することができます。観光地化された作り物や遺構ではなく、公開住居の周囲は高い垣根に覆われて実際に居住者のいる住宅街。武家屋敷通りの高台には「ひよどり坂」「くらやみ坂」などの切り通しの坂道があります。藩士が登城のために大手門へ向かう「通勤」の近道として利用されていた小道。ふっと脇差の侍が出てきそうです。
この他にも佐倉にはあちこちに鉤の手に曲がった坂道が残り、城下町の面影を残しています。
島尾敏男は「この坂の上にくれば(中略)地平のあたり帯状に、あるかなきかに光って見えるもの、よく晴れた日にガラス窓さながらに反射し、雲に覆われればかすんで見えなくなってしまう、地上に長々と横たわる印旛の沼だ。」と、小説「死の棘」の中で、一家で移り住んだ佐倉の町と、印旛沼の姿を描写しています。
武家屋敷の近隣には佐倉藩の総鎮守・麻賀多神社が。佐倉藩総鎮守として代々の城主・家臣に篤く崇敬され、現在の社殿は天保年間に堀田正睦が建て替えたものです。この麻賀多神社を中心として、十月には江戸時代から続く秋の例大祭があり、必見です。
あのドラマもここで?国の名勝・旧堀田邸、「西の長崎、東の佐倉」蘭学のメッカとして名をはせた佐倉順天堂…かなりイケてた佐倉藩の威光
さて、城下町を東方面へ、国道296号(蘭学通り)にそって進むとやがて、旧堀田家住宅が。旧堀田邸は、佐倉藩最後の藩主堀田正倫(まさとも)が明治時代に築いた邸宅。明治期の日本の建築は、洋風または和洋折衷が大流行したため、純和風住宅は珍しく、旧大名家住宅として残存するのは松戸市の戸定邸(旧水戸藩別邸)と鹿児島市の磯御殿(旧島津藩別邸)、それにこの堀田邸のみといわれています。
主屋・冠木門・離れ屋・土蔵・門番小屋などの建物が国の重要文化財に。そして庭園を含む一帯は「旧堀田正倫庭園」として、平成27年に国の名勝に指定されました。テレビや映画の撮影にもたびたび使われ、「JIN ─ 仁 ─」「坂の上の雲」「侍戦隊シンケンジャー」「TRICK(トリック)」などにも登場して、今やかなり有名な観光地となりました。
そして、旧堀田庭園を東に進むと、「旧佐倉順天堂」が。日本初の洋式病院「順天堂」の跡地です。天保期、藩主堀田正睦の招きを受けた蘭医佐藤泰然が開いた蘭医学の塾兼診療所です。西洋医学による治療と医学教育が行われ、佐藤尚中(たかなか)をはじめ明治医学界をリードする偉人を輩出しました。さらに寛政2年(1790)には長崎の医師で蘭方に通じていた樋口保貞等を招き、寛政4年(1792)に「佐倉学問所」を創立しました。こうして蘭学の先進地として、「西の長崎・東の佐倉」と並び称されるされるほどになりました。
現在、安政5年(1858)に建てられた建物の一部が残り、「旧佐倉順天堂」として千葉県の史跡に指定されています。
佐倉の町は自転車でめぐろう
他にも、国道沿いには刀剣に特化した珍しい塚本美術館、佐倉祇園祭の山車を収納した「佐倉おはやし館」、創業100年になる味噌蔵・ヤマニ味噌、出桁造り(だしけたづくり)と呼ばれる関東特有の造りを持つ古い町屋が点在します。
実のところ佐倉は、城址公園(歴史民俗博物館)と城下町、そして郊外の印旛沼、本佐倉城などを本気で見て回るとなると、2~3日は必要。多くの方が日帰りで見に来ては、歴博と城下町、どちらかをあきらめている様子をよく見かけます。
そんな佐倉の攻略法は弱虫ペダルの舞台にふさわしく自転車。佐倉市街地は比較的広く、また城下町らしく入り組み曲がりくねった道が多いため、自転車を利用するのがベスト。市内各地五箇所にレンタサイクル貸し出し返却所があるので利用しましょう。
郊外には特に夕日が美しい印旛沼が。印旛沼のほとりのオランダ風車が好く目立つ「佐倉ふるさと広場」は春のチューリップ祭り、8月の印旛沼花火大会が有名ですが、秋にはオランダ風車を中心にしたあたり一帯がコスモスで埋まります。チューリップよりも、野趣のあるコスモスのほうが個人的には見事だと思います。気候のよい秋、コスモスと佐倉の大祭にあわせておでかけしてみてはいかがでしょうか。
「北総四都市江戸紀行・江戸を感じる北総の町並み」