僕は『花曲』というファーストアルバムを聴いて、度肝を抜かれ、それ以降は彼にまとわりつき、自分を売り込んでプロデューサーの座に居座った。ただ、やれることはあまりない。僕の最も重要な仕事は、ある主の拡声器、「安田芙充央はすごい」とあちこちで触れ回ることくらいである。
明確な意味をもたない無国籍言語「Aki語」の歌
この安田芙充央の楽曲に長年ヴォイスで参加しているのがボーカリストのAkimuseである。彼女の真骨頂は自ら「Aki語」と呼ぶ、無国籍言語での歌唱だ。つまり明確な意味を持たない音声だけの歌を得意とする。これが、安田の音楽にはうってつけだった(とかってに理解している)。
安田には、人間の声を楽曲に取り入れたいという欲求がある。人の声は、人格を感じさせることにおいては、他の楽器よりも圧倒的に強力だからだ。つまり、音楽の中に、人格、登場人物が出現したような印象を与えたいときには、人の声を凌ぐものはまずない。ただ、歌詞を持つ歌は意味を孕む。この意味が音楽のメッセージ性を強めるとともに、狭いところに閉じ込めてしまう恐れもある。音楽が意味に回収されることを避けつつ、人格がなんらかの感情を訴えているという要素を、声を使って楽曲に付加したい、この虫のいい要請に見事に応えるのがAkimuseの「Aki語」での歌唱なのである。
Akimuseはソロ活動もおこなっていて、2024年にはニューアルバム「Rose Butterfly」をリリースし、この発売記念ライブを青山のライブハウスで行った。CDでは、ベルギーを中心にヨーロッパで活動する新進気鋭のクラリネット奏者、ヨアヒム・バーデンホルストを迎えて、彼女がピアノを弾いて歌うという編成で録音されたが、この日タッグを組んだのは、このアルバムでも1曲参加した、ベースとチェロの須川崇志だ。日本語や英語の楽曲ももちろんあり、それも魅力的なのだが、Aki語で歌われる曲はまた格別だった。
僕は日本語を使ってものを書いている。休憩時間にはよく音楽を聴く。ただ、歌を選曲することは意外と少ない。聴くとしても外国語で歌われているものを選ぶ。日本語だと言葉がまとわりついて、ついそれについて考えてしまい、音楽そのものを聴けなくなる、そんな傾向が僕にはあるようだ。「恋人がサンタクロース」と歌われていると、なぜ「恋人はサンタクロース」ではないのかと考えたりもする(同じことを考えている言語学者がいるのを知って驚いた)。Akimuseの「Aki語」での歌唱はそんな僕に、ひたすら音楽に向かいつつ、人の声の魅力をも味わわせてくれる。
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