今年94歳になった瀬戸内寂聴が初めての掌小説集、『求愛』を上梓した。
骨折や胆嚢がんの手術による休載をはさみながら文芸誌に書きつがれた30篇。どれも原稿用紙5枚前後と短いが、老若男女を問わない主役の幅広さや表現形式の自在さもあって、まったく厭きさせない。何より、これ以上は無理だろうと思わせるまで削られた文章の連なりが滑らかで、読みはじめたらそのまま最後まで目が流れていく。
だから、個々の話はすぐに読み終わる。読み終わるのだが、そう簡単には前に進めない。あえて喩えれば、何気なくのぞいた窪地の穴の奥に底の見えない闇を見てしまったような、ほのかな恐怖を覚えて次へ行けないのだ。
闇を生みだしているのは全篇に共通して描かれる、男と女の愛欲の始末の悪さだろう。そこには男女の身勝手や打算が見え隠れするのだが、さらにのぞけば、そうするしか生きる実感を味わえない人々の業がヘビの群れのように蠢いている。うんざりするほど愚かで非情で哀しい、私の中にもある宿痾。寂聴はそれらを淡々と描き、闇の先にひかえる死まで射程に入れて物語る。
エロスがついてまわる生と、それを失う死。僧侶でもあるという理由だけでなく、長く激しく生きてきた寂聴は、一方で多くの死と向きあってきた。生と死の境にあるさまざまな性の形も体験し、そして見てきたに違いない。その上で、94歳にしてこのような彫琢をつくした底光りする掌小説集を編んでみせたのだ。
90代にして新たな小説世界を生みだす、瀬戸内寂聴。私はここ数日間、彼女の凄味に痺れている。
※週刊朝日 2016年7月29日号