ワインづくりは町営で父の発想は「共同体」。セイコーマート全店のパート1万7千人も、社員と同様の研修にセコマが主導して、9割の受講率を目指す(写真/狩野喜彦)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2024年12月2日号では、前号に引き続きセコマ・丸谷智保会長が登場し、「源流」である旧・札幌南支店があったビルを訪れた。

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 札幌市に本店を置いていた旧・北海道拓殖銀行(拓銀)で1980年代の終わり、労組の専従役員を終えて繁華街「すすきの」に近い札幌南支店へ赴任した。仕事は、新規取引先の開拓だ。慶応大学法学部を卒業して入行した79年春は、前年のイラン革命を契機に起きた第2次石油危機で、世の中がざわついていた。今度は、バブル経済が頂点へ向かうときで、北海道へもリゾート施設の開発の波が押し寄せていた。

 だが、そんな熱気と、一線を画す。「故郷のために、北海道の人たちのために」の思いが、十勝地方の故郷・池田町で子どものころに生まれた。土地を転がして目先の差益を得るようなことは、嫌いだ。札幌の中心街で企業などへ飛び込み営業を繰り返していくなか、「これこそ拓銀へ入ってやりたかったことだ」という仕事に、遭遇する。

 競りの落札価格が高額になったサラブレッドを何人かで資金を出し合って手に入れ、専門的な施設で、レースに出られるように育てる新事業だ。競走馬1頭を小口の出資で持ち合う「一口馬主」の仕組みは前からあったが、育成への共同出資は目新しい。「競馬」というと、堅い銀行内では壁が厚い。でも、その事業への融資を、実現した。

 企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。

 10月、旧・札幌南支店があったビルを、連載の企画で一緒に訪ねた。池田町で生まれた「何があっても、何とかなる」という丸谷智保さんのビジネスパーソンとしての『源流』からの流れが、勢いを増した地だ。

風情は変わらない碁盤の目状の街で重ねた飛び込み営業

 銀行員として、地域産業の発掘や振興のために新たな融資先を求め、飛び込み営業を重ねた周辺地域は、新しいビルや商業施設が目立つ。でも、碁盤の目のように規則正しく並ぶ道路を歩けば「ここは何だった」と、次々に思い出す。東西に約1キロ半続く大通公園は、季節の花への植え替えが進み、散策を楽しむ人たちが続いていた。

「街並みは変わっても、風情は変わらないね」

 笑顔が絶えない。

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はるか地平線を望む故郷の風景がくれた前向きな気持ち