大谷翔平の移籍とは事情が違う
佐々木はロッテに入団すると、異例の育成方針で大事に育てられてきた。高卒1年目の20年は1軍に帯同して肉体強化に専念し、1、2軍通じて公式戦登板なし。2年目以降も故障のリスクを考慮しながら、首脳陣は球数に神経を使ってきた。3年目の22年は開幕から先発ローテーションに入り、4月10日のオリックス戦で世界記録の13者連続奪三振や史上最年少(20歳5カ月)の完全試合を達成。このまま一気に駆け上がるかに見られたが、その後は度重なる故障で、パフォーマンスは物足りなさが残った。昨年は15試合登板で7勝。今季は18試合登板で10勝と自身初の2ケタ勝利を挙げたが、投球回数は111イニング。一度も規定投球回数に到達したシーズンがないまま、メジャーに旅立つことが決まった。
ちなみに、大谷翔平(ドジャース)も2017年オフに、やはり23歳で日本ハムからポスティングによって、マイナー契約でエンゼルスに移籍した。契約金は231万5000ドル(約2億6000万円=当時)で、日本ハムへの譲渡金は当時の制度の上限である2000万ドル(約22億8000万円=当時)だった。
ただ、大谷と佐々木とでは事情が異なっている。日本ハムは入団交渉時から大谷が将来メジャーで活躍するための育成プランを提示し、メジャー挑戦を認めていたうえ、入団後の大谷は「二刀流」でシーズンを通して活躍した。投手としては15年に15勝5敗、防御率2.24で最多勝・最高勝率・最優秀防御率のタイトルを獲得、打者としても主軸を担った。16年には投手として10勝4敗1ホールド、防御率1.86、打者として打率.332、22本塁打、67打点の成績をマークし、チームの日本一に貢献。最優秀選手にも選ばれている。球団もファンも、大谷をメジャーにあたたかく送り出す環境があった。
これに比べ、佐々木の場合、手塩にかけて育てた球団に恩返ししたと言える成績を残したとは言えない。SNSでは、ロッテファンからの厳しい声も見られる。ロッテはなぜ、今オフにポスティングでのメジャー挑戦を認めたのか。
セ・リーグの球団編成担当は「推測の域を出ませんが」と前置きした上でこう話す。
「あれだけの資質を持った投手なので、球団とすれば投手タイトルを総ナメにする活躍で優勝に導いて欲しいという思いはあったはず。でも、佐々木は入団時からメジャー願望が強かったと聞いています。彼がロッテでプレーするモチベーションや、チームに与える影響を考えると夢を後押しした方が良いと判断したのでは。球団内部でもいろいろな意見があっただろうし、難しい決断だったと思いますよ」