福岡市の高校教諭・大崎幸一さん(30)は中学3年生だった2008年、アメリカで心臓移植を受けた。11歳のときに発症した特発性拡張型心筋症が少しずつ悪化し、入退院を繰り返していた。家にいるときも酸素吸入が欠かせず、自宅の1階、2階の行き来すら自力ではできなかった。
球拾いにうれし涙流し
「本当に自分では何もできなくて、もうすぐ死ぬんだと感じていました。移植という道を聞いたときも、最初は単なる延命治療だとしか思えなかった。でも、移植を受けて少しすると自分の足で歩けるようになり、制限されていた塩分もとれるようになった。学校に復帰したあとはソフトテニス部に入りました。最初はユニフォームもないから白いTシャツで球拾いをしましたが、涙が出るほどうれしくて楽しかったんです」
高校に進むとチアリーディング部へ。バク転ができるようになりたかったからだという。
「移植を受けた人が歩いている映像を見て、僕も移植を受けようと決めました。もしその僕がバク転していたら、これから移植を受ける人をもっと勇気づけられると思ったんです」
バク転は数カ月でマスターした。医師らに声をかけられ、移植待機する子の病室や移植学会の会場で披露したこともある。チアリーディングはバク転を覚えた後も続け、チアリーディングの全国大会、JAPAN CUPでは3位の成績を収めた。大学進学後は下宿生活を経て一人暮らし。大学院にも進み、藻類の研究に取り組んだ。卒後、故郷の福岡に戻り教員に。一昨年には結婚した。
「基本的には、やりたいと思ったことをやらせてもらってきました。いまは、自分の経験を子どもたちに伝える活動もしています。これからもいただいた心臓を大切にしながら、一歩一歩生きていきます」(大崎さん)
心臓移植は脳死となる人がいて、本人が生前に意思表明していたり、家族が提供を決断したりすることで成立する、深い悲しみの果てにある医療だ。だからこそ、引き継がれた命が社会のなかで生を全うすることが、ドナーやその家族たちにとっても希望になるはずだ。
(編集部・川口穣)
※AERA 2024年11月18日号