
『ザ・ビート・オブ・マイ・オウン・ドラム:ア・メモワール』シーラ・E. 、ウェンディ・ホールデン共著
●第19章 ブラッシーズより
1983年12月のある日、私はプリンスから電話を受け、「スタジオにいるから、来てほしい」と言われた。
「もちろん行くわ。私は何を持って行けばいいの?」
「そんな気を使わなくていいよ。来てくれれば、それでいいんだ」
私は興味をそそられながら、サンセット通りのスタジオに出かけた。サンセット・サウンド(・レコーダーズ)の門をくぐり、スタジオの中に入ると、香りのよいロウソクが灯され、すみずみまできれいに整頓されていた。
プリンスがリヴィングルームのようにしつらえたスタジオは、とても居心地がよかった。彼は、ライヴがなければレコーディング・スタジオにこもっていた。だから、サンセット・サウンドは彼の「家」だった。
プリンスは相変わらず紳士的で、「飲み物は何がいい?」、「お腹は減ってない?」と、私を気づかった。彼はいつも、私に優しい心配りを見せた。エンジニアは、その夜に限らず、ほとんどいつもいなかった。プリンスは、一人でレコーディングすることを好んだ。
私は、ドラムスかパーカッションがスタジオにセットされているものと思っていた。けれども、目に入ったのは一本のマイクだけだった。
私は慌てて尋ねた。「私の道具はどこなの?」
彼は、くすくす笑って言った。「今夜はいらないんだ」
私たちは、腰を下ろして、少し話をした。プリンスが、取り組んでいる新曲をいくつか聴かせた。その中の一曲は、まだ完成していなかったが、すでにファンキーだった――All of my purple life , I’ve been looking for a dame that would wanna be my wife……。
私は、とても気に入り、笑みを浮かべて、「すごくファンキーね!」と、彼に言った。それが、≪レッツ・ゴー・クレイジー≫のB面として考えられていた≪エロティック・シティ≫だった。
私は、周囲を見回し、タンバリンやカウベルを探した。けれども、見当たらなかった。 シェイカーさえなく、胸騒ぎがした。プリンスは、微笑み、私は、怖気づいていた。そして、「この曲で一緒に歌ってほしいんだ」と、彼が言った。それは、私が一番恐れていた言葉だった。
「そ、そう。バックで?」と、彼が頷くことを願いながら、私は、おずおずと尋ねた。けれども、彼は首を横に振った。
私はいつも、緊張すると喉が締めつけられて、息苦しくなる。話すことも、歌うこともままならない。私は息が詰まり、物が言えないような状態に陥り、いつもより数オクターヴ高い、裏返った声でかろうじて言った。
「あの、あのね、私、歌いたくないの」
プリンスは、私の垂れ落ちた髪をかき上げながら、優しく言った。
「シーラ、君は何年も、バックで歌ってきた。だから、要領はわかっているよ」
彼はさりげなく、デュエットの話を持ち出した。けれどもプリンスは、低音域から高音域までファルセットをも、歌いあげる優れたシンガーだったが、一方の私は、バックグラウンドで少し口ずさむ程度の経験しかなかった。
「さあ、始めよう」
「えー、本当に?」
私は、喉に異物感があり、何としても免れたいと思った。だから、デュエットは私にとって、バックで歌うほど簡単なものではなく、恐ろしくてとてもできないと、必死に訴えた。私は、いつもの自信をなくし、たとえ彼が友達であっても、自意識過剰になり、畏縮していた。
「だけど、僕たちはいつも一緒に歌っているじゃないか」
「もちろん、ジャムを楽しんでいる時にはね。だけど、スタジオで歌い、レコーディングするのは、訳が違うわ」
私は、マイクの前に立つと思うだけで、膝が震えた。けれども、プリンスは、「No」と言わせないタイプだった。私はいつのまにか、彼に従い、マイクの前で、声を絞り出そうとしていた。ただし、緊張のあまり、声がなかなか思うように出なかった。
彼は、いつものように歌えばいいと私を励まし、我慢強く付き合った。そうして何度も試みるうちに、緊張がほぐれた。私は少しずつ自信を取り戻し、そのプロセスを楽しみはじめた。
けれども決して、それほど気持ちのよい夜だったとは言えない。
私はまた、歌詞にまつわる思いがけない問題に直面した。彼が走り書きした歌詞の中に、コーラスの一節に、Fワードが入っていたのだ。私はそれを見て、「この言葉は、歌いたくないし、歌えない。母に怒られるわ」と言い張った。
彼は、私の我儘を受け入れて、妥協点を見つけた。つまり、彼はそのまま、”We can f--- until the dawn” と歌い、私は、”We can funk until the dawn” と歌うことになった。
プリンスは、それぞれのヴォーカルを2本のトラックに入れ、ミックスした。
私たちの声が重なった “一語” は、やはり聞き取れず、ファンの間でちょっとした謎になった。
『The Beat Of My Own Drum : A Memoir』By Sheila E. with Wendy Holden
訳:中山啓子
[次回7/11(月)更新予定]