ザ・プリンスパークタワー東京のディナーショー後のハイタッチ会。純烈は「触れる」感覚を大事にしている。客席に下りて握手して回る純烈名物「ラウンド」はプロレスから思いついた(撮影/工藤隆太郎)

「東映はヒーロー像から外れた行動には厳しく、僕も本来ならやりすぎじゃない?とか諫(いさ)める側。でも彼らの気持ちも分かるので、黙認していました」

 現場に行くと隣に来て裏方の話を聞きたがる酒井とはすぐに仲良くなった。お盆で1週間休みができたときは、一緒にトークイベントを企画した。

「手作りのイベントでしたが、酒井の仲間が会場を押さえたりチケットを売ったり、よく働いて。途中から私も楽しくなって、仕事が終わると手伝いに行った。酒井って不思議と人を巻き込む力があるんですよ。そのときの感覚があるから、年齢は下だけど酒井はリーダー。一緒にいると楽しくてその後もつるんでいる感じです」(横塚)

 それは「酒井祭」と題し、パルテノン多摩で600人を集客。界隈では大きな話題になった。

「ガオレンジャー」は追加オーディションを経て入ったガオシルバー、玉山鉄二が大ブレイク。最高視聴率は11.5%、2000年以降の戦隊シリーズでは歴代最高となり、玉山や金子は人気俳優の階段を駆け上がっていく。しかし、酒井は翌年から再びヒマな日々に戻ってしまった。

「悔しかったでしょ、ってみんな言うけど、悔しくないんですよ。俺は肩を貸した。『行け!』って。思ったより行ったというだけで」

 04年に結婚。子どもも生まれた。ロクに稼ぎもない息子を、母親は会えば「何年くすぶってんだ」「遊んでる場合じゃないだろう!」と罵倒したが、馬耳東風。酒井の中では、確かな手応えを感じるものがあったから。「酒井祭」は「しんじゅく酒井祭」と名を改め、サブカルの殿堂、新宿・ロフトプラスワンの人気イベントとなっていた。自身のパーソナルな部分までさらけ出し、お客さんもいじりながら笑わせる。トークの腕を磨きながら、自分でイベントを企画してブッキングするプロデューサーにも就任。顔の広さを生かし、特撮ヒーロー出身の俳優の待ち受け画面などを提供する携帯サイト「ビジュアルボーイ」のキャスティング業務も請け負った。「酒井一圭HG」としてレイザーラモンHGのような衣装で「マッスル」に参戦、プロレスラーにもなった。求められるまま流されるまま、あらゆるところに首を突っ込んだ。

「放送禁止芸人」の異名を持つレイパー佐藤(56)と出会ったのもその頃だ。佐藤は言う。

「夢は映画監督なんだと話すと、酒井さんは、俺は本物のガオレンジャーだ。特撮ヒーローを知ってる限りノーギャラで呼ぶから、俺を主役に映画を作らないか、と言ってくれて。じゃあ私は知る限りの芸人を呼びますと。すごい人数になって」

「ガオレンジャー」の仲間も駆けつけ、ラスボスは金子。その作品「クラッシャーカズヨシ」は評判になり続編が撮影されるが、その途中に酒井は足首を複雑骨折し、北里研究所病院に搬送された。

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