「ただ、これには後日談があるんです。マネジャーが『決まった』と言ったとき、実際に決まっていたのは僕がオーディションに参加することだけだった。僕は、普通に顔合わせのノリで、『お願いします!』『頑張ります!』ってやる気満々で挨拶した。後になってプロデューサーの亀山(千広)さんは、『こんなにやる気を見せているやつを落としたら、可哀想だと思ったから同情枠で採用した。(芝居が)ダメだったら、途中で殉職させればいいんだから』と話していましたね」
そのオーディションのとき、フジテレビ側のスタッフから、「ところで、本当にこの名前でいいの?」と質問された。
「本音をいうと改名したかったけれど、当時は今より尖っていた部分もあったから脊髄反射で、『いいですよ、全然』と答えて、後には引けなくなってしまった。この名前、長いのでラテ欄では場所を取るし、シリアスな作品には浮いてしまう。俺みたいな若造からすれば、いろいろ申し訳ない部分もあったんですけどね」
「踊る~」は、実験的なドラマだった。誰もが「あれは誰?」と一瞬戸惑うような無名のユースケさんが伸び伸びと芝居ができたのは、共演者の優しさに助けられたほかに、芝居の世界に無知で、怖いもの知らずだったことも大きいという。
「ことの重大さに気づいたら萎縮していたと思います。あの頃はもっと単純で、『この感じなら、お芝居は続けていっても大丈夫かな。でも音楽はダメだろう』とか、タレントと俳優とミュージシャンと、どっちつかずの状態でウロウロしながら、『お芝居は好きかな』と漠然と感じ始めていた時期だったから」
そうして、最近になってようやく、「活動の軸足はどこに置いていますか?」と聞かれたときに、「役者です」と答えられるようになった。
「今って、YouTubeを始めとしたSNSが全盛だから、20年前に比べると、役者でもミュージシャンでも芸人でもタレントでも、自分のキャラクターを色濃く見せていける場がいくらでもありますよね。若い俳優さんで、バラエティー慣れしている人も増える一方だし。でも、そうやって、器用にいろんなジャンルを渡り歩いている人たちを見て、『俺は、仕事の軸足はお芝居に置きたいな』ってあらためて思った。いろんな活動をしていると、『本業は役者じゃないんで、下手打っちゃったらすみません』って言い訳できるからラクなんですよ。でも、そんなこと絶対言いたくないと思った。そうなると、自分の中ではお芝居が、一番言い訳のできない仕事かもな、って」
(菊地陽子、構成/長沢明)
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※週刊朝日 2021年11月12日号より抜粋