後列右から2番目が大山さん(写真/本人提供)

 欧州でロングドレスに合う何重連もの真珠のネックレスが人気で、どんどん輸出された。だが、ミニスカートが普及していくと真珠を身に着ける女性が減り、真珠業界は打撃を受け、浮き球も売れなくなる。ブームは3年で終わった。

 この間、72年7月に宮城県大河原町で仙台工場(現・大河原工場)が完成する。宮城のカキや青森のホタテ、北海道はワカメなど養殖が盛んで、浮き球を供給していた縁で北に生産拠点を持つことにした。さらに73年に起きた第1次石油危機で荒波をかぶると、倒産防止を第一に東大阪市の工場を止めて、生産の主力を仙台工場へ移し、社員を半分くらいに減らす。

新商品の開発会議は会長に退き傍聴だけでも、工場はのぞく

 80年代は反転攻勢で、園芸用品、ペット用品、冒頭で触れた透明な収納ケースとヒット商品が続き、89年12月に本社の登記を仙台市へ移す。すでに本社機能の大半は移っていたが、「東北の企業」になりきっていく。2011年の東日本大震災では当然、食料品や飲料などの供給に、社を挙げて力を尽くす。

 毎週月曜日の朝、宮城県角田市の本部機能を持つ角田工場で新商品開発会議を開く。すべての部署の責任者を集め、各部門から出る提案を吟味する。狙いからデザイン、価格まで、次々に提案者へ質問が飛ぶ。開発を認めるかは、その場で社長が決める。通って売れれば担当者の手柄、失敗だったら決裁をした社長の責任。そう明言し、新商品が次々に生まれる。

 2018年7月、長男の晃弘氏が社長になり、会長へ退く。新商品会議の議長も、渡す。テレビ会議で参加はするが、マイクは用意せず、傍聴にとどめている。でも、代表権は持って毎週、工場をのぞき、現場の技術者と意見を交わす。「ものづくりの現場を知らずして、商品の開発はない」。映画を初めてつくって構想力の大切さを学び、父の町工場を継いで丸60年。『源流』から続く長い流れから、そう言い切る。(ジャーナリスト・街風隆雄)

AERA 2024年10月14日号

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