かとうれいこ
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 1990年代に芸能プロダクション「イエローキャブ」の“長女”としてグラビア界を席巻したかとうれいこ(55)。現在もタレント活動を続ける彼女の“美魔女”ぶりが世間を沸かせている。

【写真】舌を出した表情がセクシーなかとうれいこ

 かとうは同年代のタレントらといまだ仲が良いようで、9月8日にはタレントの橋本志穂、ピンクの電話の清水よし子、日本テレビの下川美奈さんとの集合ショットを自身のインスタグラムで公開。この日は食事会をして盛り上がったといい、「清水よし子さんのフランス パリオリンピック旅話に興味津々」「イタリアンからの焼きとりのはしごっていうのもすごい」「みんな天然」などとつづっていた。

 また、同15日にはタレントの田中美奈子とともに神奈川県で行われたキャンピングカーのイベントに登場。かとうと田中は1991年放送のドラマ「もう誰も愛さない」(フジテレビ系)などで共演しており、ネット上では「もう誰も愛さない、好きなドラマでした。2人ともかわいい」といった声も見受けられた。最近のかとうについて、エンタメ誌の編集者が話す。

「かとうさんのインスタグラムには、80年代や90年代に活躍した女性タレントがよく登場するため、ドンピシャ世代のネットユーザーを喜ばせている様子。また、かとうさんの55歳とは思えぬ若々しい姿に、『昔から本当に変わらない。まさに奇跡の50代』『かとうさんだけ、時の流れが止まったかのよう』と驚きの声が上がっています。朝食には美容にも効果的とされるアサイーボウルを毎日食べているそうで、やはり自分磨きは怠っていないようです」

 かとうといえば、短大時代の88年にカメラマンから「写真を撮らせてほしい」と声をかけられ、その写真が当時のイエローキャブの社長だった野田義治氏の目に留まったことがきっかけで芸能界入りした。

 同年はイエローキャブの看板タレントだった堀江しのぶさんが病死。憔悴した野田氏の姿を見たかとうは、自身が野田氏を「支えよう!」と決意し、本格的にグラビアの仕事を始めたという。前出の編集者が当時を振り返る。

「デビュー当初は『星野裕子』や『星野麗子』名義で活動していたかとうさんですが、89年に『クラリオン』のキャンペーンガールに選出された頃から現在の名前に改名しました。健康的でハツラツとしたキャラクターで大ブレークし、当時はバラエティー番組やCMのほか、俳優や歌手としてもデビューしました。92年に主演を務めたドラマ『幸せになりたい!平成嵐山一家』では、自ら歌った楽曲『ハーフムーンは傷ついてる』が主題歌に起用されるなど、令和の芸能界ではありえないマルチな活躍ぶりでした」

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